コウノトリがやってきて以来、愚犬クロとの散歩にはそれを撮影しようとする人や車に会うことが多くなった。
近所の知り合いの人も、常に追いかけて写真を撮っているので、密かにパパラッチ○○と呼んでいる。
この頃散歩に出かける時には、コウノトリも朝食を済ませて、高い高圧電線の鉄塔の上で日向ぼっこをしている。
写真を撮る人は、午前中殆どその近くで、動きの無いコウノトリを見張っている。
見張られていたら、地上に降りられないと思うが、日向ぼっこして諦めているのかも知れない。
先日の金曜日は、道端の普通の電信柱に止まっていたので、その大きさを身近に感じられた。
追いかけなければ、そばまで近づいても逃げることはあまりない。
そのコウノトリもさることながら、この季節になると猛禽類が沢山訪れている。
何という種類名なのか分からないが、鳶より少し小さなものが、電信柱や田んぼの中でいるのを何羽か見かける。
また、カラスよりも小さなものもよく飛んでいて、今日もカラスと空中戦をしていた。
皆総称して鷹というのかも知れないが、普段いる鳶やカラスなどと違って、秋から冬にしか見られない。
また、ケリも集団で田んぼを舞っている。
大型のサギもコウノトリに負けないくらい、おおらかに舞っているが誰も見向きもしない。
小鳥も沢山の種類がいて、美しい鳴き声を聞くのが楽しみである。
小川のそばに行くと、美しいカワセミも普通に見ることが出来る。
ただ、千種川の下流にかけている、川鵜に関しては、不気味である。
つい最近も大群が川の上を移動しているのを見たが、大群のカラス同様不快な感じがした。
自然が多く残っていると言いながら、自然そのものよりもこうして里のそばに人と共存している。
人の住んでいるそばの方が、食べ物が多くあるということなのだろうか。
私がよく訪れた奄美の与路島では、猛禽類の餌となったのは、野生化した山羊の子供だった。
この上郡では何が餌になっているか分からない。
ただ、我が家にはハツカネズミが多く住み着いているくらいだから、外にも多くいるのだろう。
そういう、様々な鳥を眺めながら、散歩を楽しんでいるそばで、クロは相変わらず蝗を捕って食べている。
時々散歩の途中でやるジャーキーよりも、蝗の方が好きなようだ。
蝗はまだ良いのだが、先日はヌートリアの子供が何匹も出てきて、えらく振り回された。
今日も、何か獲物、たぶんイタチだと思うが、それを見つけたのか草むらに飛び込んでしまった。
普段ハーネスに、10メートルほどの太いロープをつけているのだが、引っ張った拍子にハーネスが壊れてしまった。
こうなると、うちの愚犬はこれ幸いに脱走してしまう。
以前は追いかけて捕まえたが、紐が付いていない状態では絶対無理である。
一度帰って体制を整えて、他の人に迷惑をかけないように探しに行った。
クロは自分の好きな、隣村の墓場の近くをうろうろしている。
ここは以前に鎖をつけたまま逃走して、救助してやったところの近くである。
そばまで行って、ジャーキーで釣ろうとするのだが、逃げてしまう。
そんなことをしている間に、戻って来た家内が軽トラでやってきた。
家内は私のように捕まえた後で、叩いたりしていないので、ジャーキーを見せたらやってくる。
今回は見事そのジャーキーを使って、田んぼの中で捕まえてくれた。
私も最近は、捕まえても叩かないようにしている。
その代わり、散歩から戻った後の食事は抜きである。
いつも据わっている庭の縁台で、哀しそうな声を出していたが、無視した。
平和な鳥の楽園を堪能した散歩は、結局クロの脱走劇で乱された。
家の息子はやんちゃでは無かったので、あまり悩まされることが無かった。
その代わりにクロのやんちゃに振り回されている。
子育ての終わった夫婦にとっては、孫以上に手の掛かる存在でもある。
繋いでいる時は私に絶対服従するクロだが、逃げた時は家内の方に心を許す。
思い起こせば、独身下宿時代に電話や手紙のやりとりをしていたのは、母親だけだった。
父親というのはそういう存在なのかも知れない。
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