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2018年9月2日日曜日

あきらめの夏休み

私は教員になったので、社会人になってからも夏休みとの関わりがずっとあったのが、今年は盆休みさえもなかった。
そして、何よりも母親が8月3日入院して、23日退院し、その後しばらく我が家にいたので、その世話で忙しかった。
ようやく、母も自宅で少しずつ日常生活に戻りつつあり、今後デイサービスを受けながら一人暮らしを続ける予定である。
しかし、以前のよりも生活を気をつけてやらねばならず、弟夫婦と協力し合って支援していくつもりだ。
幸いなことに、10月からは母の世話ができそうな、仕事もみつかった。
その仕事の話は、急に日曜(8/26)に美術館へ行った帰りの車の中で進んだ。
その時、口から出てきた言葉は「捨てる神あれば、拾う神ありやな」であった。
仕事の上でも、生活の上でも見通しが立ちづらい中で、降ってわいてきた話だったからである。

若い頃のように、自分の仕事や子育てだけを考えていたら良かった立場は終わり、自分の親のことを考えねばならない立場になった。
人によっては、仕事や、子育てが大変で親の面倒は見られないという人もいるだろう。
そんな中で、少しでも多くそれができるというのは、ありがたいことだと思っている。
それは、早期退職していたと言うこともあるが、退職後の考え方自体が変化して、生活重視志向になっていた。
以前から、生活のための仕事であって、仕事のための生活ではないと思っていた。
実際は、仕事のための生活を余儀なくされている場合が多かったと思う。
そんな中で、生活のための仕事ができるというのは、恵まれていることかも知れない。

先日ニュースで、女性が子育てのために離職して、失われる金額3兆円というのがあった。
失われるのではなくて、子育てこそ3兆円には換えられない価値があるのだと私は思う。
何でも金に換算した価値でしか評価できないことを助長するマスコミには疑問を感じた。
老人介護に関しても、同じことが言えると思う。
つくづく大変なことだとは思ったが、金には換えられない価値があるからこそ何とか続けられると思う。
しかし、それは子育てと同じで、決して一人ではできず、周りの協力や支援が必要だと身にしみて分かった。
人類は子育てを協力し合って社会進化したという。
これからは老人介護を通じても、社会進化するときが来たようにも思える。
誰もが子供はいなくても、必ず老後はやって来る。
夏休みはあきらめても、老後をあきらめるわけにはいかない。



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