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2018年9月12日水曜日

眺めの良いトイレ

以前、昔の淳心学院のトイレから、美しい姫路城が見えて、それを眺めながら小用をたすことの爽快さを書いた。
実は、うちの二階のトイレは東側に小さな窓がついていて、座って用をたすときに周りの景色が見える。
東側の山は椿峠のある山で、車の行き来が分かるので、雪の日や、先日のように通行止めの時に動きがよく分かる。
山際まで、水田が広がっていて、稲の生育の様子や、仕事をする人の様子もよく分かる。
何よりも、季節季節に彩りを変えていってくれる、山の景色には心癒やされる。
そんなに長く座っているわけではないが、朝の一時に安らぎを得られるのはありがたい。

ただし、今年の異常な夏は、このトイレを試練の場に変えてしまった。
トイレには、気温計を置いていたが、35℃くらいになることもある。
そして、東側から日光が降り注ぎ、いくらスダレをしていても暑い。
この密室空間では、外の景色を見る余裕もなく、暑さと戦っていた。
汗びっしょりになり、トイレを済ました後でシャワーを浴びねばならなかった。
なぜ、そこまでして2階のトイレを使うかというと、1階のトイレの流れが悪いからである。
家内から流すこつを教えてもらって、実行した頃は、既に灼熱の夏は終わっていた。
実は、それまで「流れる」という家内の言う言葉を信用していなかった。
涼しくなってきた今となっては、二階のトイレの方が快適である。
1階のトイレの窓からは隣の倉庫しか見えないし、そもそも窓に背を向けて用を足す。

よく、金の便器とか、この上なくきれいなトイレというのが脚光を浴びてきた。
景色を眺めながら、ゆっくりと用がたせるトイレというのはあまり聞いたことがない。
昔の淳心学院でさえ、座って用を足すときには姫路城は観られなかった。
そういう意味で、うちの二階のトイレは得がたい場所である。
ただ、お客さんにすすめる場所ではないので、誰にもお見せして自慢できない。
トイレの神様の歌でもあるように、トイレは大切な場所である。
奄美の与路島では、「生」と「死」を司る神様がいると言われた。
神様をお迎えするには、きちっと掃除はできていないが気がかりではある。
それでも、健康と心に関わっている大切な所として、ありがたく感謝すべき場とは思っている。



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