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2018年9月10日月曜日

診療所の待合所

このところ体調を崩して、ついに病院に行かねばならなくなってしまった。
私は定期的には赤穂の中央病院に通っている。
以前は知り合いに会う機会が多くて、待っている時間はそういう人と話す機会も何度かあった。
ただ、最近では滅多に知り合いと会うことはなくなっていた。
今回は、自宅近くの診療所に行くことになった。
すると、近所のYさんがやってきて、待っている間色々と話をする。
Yさんは、村では挨拶をする程度の人なのだが、初めて話をするのにずいぶんと立ち入った話もした。
それは同じ村でいつも顔を合わせているし、同じ村の仲間という気安さがあるからである。
その人は、元々御両親は高知県出身だが、仕事の関係で尼崎などで暮らした後で、退職後に村に移り住んだことを初めて知った。
自然が大好きで、庭にはいっぱい花や野菜が植えている。
退職後に移り住んだ人は、村の人との付き合いは難しいのだが、Yさんは隣村の特定の仲間と仲良くしている。
ちなみに、私たちは子育てを通して、村に溶け込んでいった。
子供は夫婦だけでなく、地域の人とのかすがいにもなる。

そのうち、知り合いのOさんも夫婦連れでやってきて、色々と村仕事のことや、墓地の相談をした。
Oさんは診療所でなくてもよく話をする人だが、診療所でも話をする良い機会になった。
桂文珍の落語ネタで病院の待合所を題材にしたものがあるが、それに似たような雰囲気なのかも知れない。
病院に来ていないと調子が悪いのかと心配するネタである。
私の母親も以前は、近所の医院に足繁く通い、そこで話をするのを楽しみにしていたようだった。
その母親も入院して以来、総合病院に転院して一人で気軽に通えなくなった。
一人で気軽に通える病院の待合所こそ、コミュニケーションの場になる。
今のところ、私はそういう仲間には入っていないが、仲間入りするのもそう遠くはないように思えた。

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