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2024年6月18日火曜日

海人の現代

 以前、「となぜのじいちゃん」で紹介したが、父方の祖父は江戸時代の百姓の生き残りのような人だった。

本家の家長として、特別な存在で、船乗りをやめてからも庭師として、働き続けていた。

家は息子に譲っていたが、隠居部屋のような別室で、一人気ままに過ごしていた。

私の父は、その祖父をどちらかというと、恨んでいた。

それは家業の船での運搬業を仕込む親方の立場で厳しくされたからだが、それよりも高校資格が取れる1年前に中等学校を退学させてしまったからだった。

父は市役所などの公務員になりたかったようだが、祖父は家業を継がせることを第一とした。

その点で言えば、父の同級生で隣村の折方に住んでいた北爪さんは、大学を出て県庁勤めをした後で、赤穂市長になったことと大違いだった。


しかし、父は家業の海運業を辞めて、造船所の職工になった。

そして、教育パパになって、4人の子供たちを大学に入れた。

その子供の4人のうち、3人は企業に勤め、私だけ一人公務員になった。

誰一人親と一緒に住んで家屋敷を継ぐことはなかったが、弟のうち一人は造船部門ではなかったが父と同じ企業に勤めた。

一方の本家は祖父の息子が家業を継いだが、孫の代では家業は継がれず、今は家屋敷には孫の婿が一人で住んでいる。

結局、船運搬の家業は祖父の父から4代続いて終わったことになる。

現在、祖父の孫やひ孫で船に関わっているのは、私の娘が造船所で働いているのみである。


実は、私の母方の祖父の父は船大工であり、祖父自身は海軍の職業軍人で航空母艦の機関兵でもあった。

また、私の家内の父、すなわち娘の祖父は造船所に勤めていた。

私の娘が船に関わる仕事に就いているのも、そういう縁を感じてしまう。

船とは全く関係ないが、私の甥の一人(娘にとってはいとこ)は現在パイロットをしている。

私の父が船乗りの端くれだったが、その孫は船乗りではなくて実入りの良いパイロットになったわけだ。

私自身は幼い頃は父親に船乗りになると言っていたらしいが、母親から船乗りだけはなるなとずっと言われ続けていた。

また、父方の祖母は農家の出だったし、祖父の家でも稲も以前は作っていた。

船乗りだけで生活していたわけではなく、塩田に勤めに行ったりもしていたようだ。

だから、船だけに関わっていたわけではなかった。


私は自分の先祖にあまり関心が無かったので、親に聞いたりしなかったのだが、海人のことを調べていると、先祖はまさしくそれだったように思えてきた。

本家は代々、鷆和の御影石の運搬に携わりながら、農業や塩田勤めなどをして暮らしていたのだと思う。

現代においては、どの仕事も成り立たなくなっている。

ということで、海人の子孫たちは新しい仕事を探して赤穂を離れるしかなかった。

その子孫の一人が造船に携わり、また一人は飛行機に携わり、海人の流れは生き続けているようにも思える。

私はどちらかというと、農家に理想を見いだそうとしていたのだが、一所にじっと我慢することはやはり苦手で、農家には向いていないことはよくわかっている。

現代の日本人は田んぼや家屋敷、墓にこだわらない方が生きやすくなっているのだから、元の海人の生き方に戻ったようにも思える。

江戸時代に村百姓から、中世の海人に戻ったようなものだろうか。







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