内山田洋とクールファイブのヒット曲で、私は奄美の与路でカラオケを歌う時には、自分の地元の歌としてよく歌った。
神戸は奄美や沖縄へのフェリーの乗り場もあり、奄美出身の人も多く住んでいて奄美の人にとってもなじみのある場所だった。
実は、播州の人間にとっては、神戸は地元ではなく、よその街なのだが、私はたまたま予備校が神戸で、神戸にも住んだことがあり、なじみはある。
当初、新聞配達をしていて、この坂の多い街のマンションでの配達は、正直苦痛でいやな街だった。
私は阪急沿線だったが、JR、阪神と住む人の階層が分かれているのがよくわかり、格差社会を実感したし、神戸三宮の騒動も理解できた。
阪神大震災が起こるまでは、格差を秘めたまま神戸は華々しく発展していって、憧れの場所となっていた。
私は水泳部の生徒の引率で、県大会の開催されるポートアイランドに何度も通ったり、宿泊したりした。
しゃれたホテルに泊まり、しゃれた街並みを歩いたりした。
そのポートアイランドも震災をきっかけに衰退していった。
神戸 泣いて どうなるのか
捨てられた我身が みじめになるだけ
復興していってきれいになった神戸が、人口減少に悩んでいるという。
神戸郊外の三田などが元気なことと、比べてもちょっと違和感を感じるが、人を引き寄せる力を失ってしまったようだ。
私は横浜市にも住んだことがあるが、同じような立地で大違いとなっている。
関東大震災で被災した後も、復興を遂げた東京と横浜だが、その後の日本は戦争への道を進んでいった。
今度、関東圏で大震災が起こったら、神戸のように衰退していくのか、それとも戦争への道を歩むのか?
とにかく、昔と違って農村、山村や漁村に人口を増やす余力が残っておらず、都市部に人を送る力は失せてきている。
海外から人を呼び寄せない限り、大震災の復興は不可能だろう。
東京都の都知事選は少子化問題や戦争問題を取り上げているが、大震災への対応は後回しになってる。
コロナのパンデミックがいきなり来て、対応がまともにできなかったように、大震災が起こってまともに対応できないのではないか?
というより、計算上は被害が分かっているが、復興できると踏んでいるのであろうか?
東京は破壊と再建で江戸時代から再生してきたが、果たしてこれからの時代にそのセオリーが通用するのか知りたい。
結局世界の潮流からすれば、日本が「そして神戸」になってしまう懸念もある。
だけど、世界に取り残されていた江戸時代には、平和な時代が貧しいながらも続いたことも確かだ。
神戸も人口減を嘆くより、落ち着いた雰囲気のある街を守り続けるのも一つの手だとも思う。
私は新聞を配った後の夜明けの港が好きだったし、六甲山系を縦走した時の海や街もきれいで好きだった。
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