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2012年7月14日土曜日

田んぼのあった頃

昔の米の価値は高かった。1石(180kg)が大人一人の一年分の米の消費量と江戸時代ではみなされていた。
昭和35年で米1升(1.5kg)が122円*1で、当時初任者の月給1万円だったということから、米価約80kg分である。
現在、家で買っている自主流通米の玄米60kgが16000円で、それを基準にすると、月給約26000円となる。現在が高卒の初任給を約16万円とすると、米の価値は5分の1以下になったことになる。
因みに江戸時代なら38000円で一人分の1年間の米がまかなえたことになる。

私の父親は母方の祖母と共同で水田を3反ほど、昭和40年代に買った。
当時は確か1反8俵(480kg)もとれなかったと思うが、現在の自主流通米の価値では384000円の収入、当然肥料や頼んだ機械の費用もあったので、それだけの価値はない。
そのまま初任給比較で5倍の価値として変わっていなかったら、200万円近くになっていたことになる。
父親が必死になって4人の子どもを育てるために、勤めに出ながら稲作りをした意味がよく分かる。
また、当時は土地は値上がるものとして、投機的な意味があった。
父は水田以外にも、宅地や畑を買ったが、水田1枚は高校の用地に売れ、宅地も売って、結局もう一枚の水田を宅地化して家を建てて、宅地名義にした畑が残った。
これら全て母方の祖母と折半で、家も隣同士になった。

ところが、現在ではパチンコで1日1万円以上が動く時代である。
20万円くらい1年間どころか、 半年ですってしまう人もいるだろうし、逆にもうける人もいるだろう。
汗水垂らして、稲を作る意味はなくなり、機械で楽をして利益を無くしてしまっているのが、この地域の兼業農家の実情である。
土地も値上がりどころか、値下がりしてきている。
古代ローマは征服した地域のコロニーから安い穀物が入ってきて母国の農業が荒廃した。
「パンと見せ物と要求する無産ローマ市民」は世界史で必ず習う常識だが、生活保護を受けながらスポーツ観戦や競馬をしているのと現在の日本と同じである。
現在は古代ローマのように兵役とは関係していないので、もっと国家への依存性が高い。

私は父親のように早朝と夕方に農作業をしながら働くことはできないが、せめて週末くらいは自給用の野菜を作ろることを続けている。
農地は全て借地であるが、盆暮れのお礼程度で済んでいる。
これは農作業は決してコストに見合うものではなくて、目的はあくまで「自分で築く生活の証を得る」ためである。

*1 米価の変遷-Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E4%BE%A1%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7
   





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