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2015年1月11日日曜日

泣けないお墓

この土曜日は、叔父の三回忌で名古屋まで出かけた。
家内と、母親と一緒に、朝五時に起きて、車で出かけた。
昨年は、大学時代に住んでいた近くなので、ナビを無視してお寺を目指して迷った。
今年は、ナビにも従ったし、もう叔父の見舞いから、葬式、法事と4回目になるので迷わなかった。
ところが、私の母親が時間を間違えて、1時間も早く来てしまった。
赤穂の親戚は、青春十八切符と新幹線を上手く使って、時間より少し遅れてやって来た。

うちの親や叔父は本来は浄土真宗なのだが、お墓の都合で去年より真言宗で法事を行っている。
叔母が言うには、地下鉄の駅が近くて便利で手頃な近代的な墓が見つかったので、決めたと言うことである。
昨年の納骨の儀式の時に初めて見て驚いた。
カードをかざすと、叔父の墓が現れてくるのである。
いわいる立体駐車場原理の、お墓なのである。
お経も今まで唱えてきたものとずいぶん違うし、お墓もテレビゲームのようだし、気持ちが入らない。
食事も、そのお寺で済ましたのだが、運転のこともありお酒も飲めず、親戚も食事が終わると早々に帰り支度を始めた。
交通に往復7時間を費やして、やってきた名古屋での法事は、つつがなく終了した。

叔父は、赤穂を離れて、名古屋で就職して、そこで所帯を構えたが、できる限り帰省を続けた。
亡くなるまで、赤穂に帰りたいと言い続けていた。
しかし、赤穂に思いがあるのは、叔父のみであった。
赤穂の親戚は、赤穂の雰囲気を、その法事の場に持ち込みはしたが、異なるお経と異次元のお墓の前では、たじろぐばかりだった。
食事が済むと、一人の叔父が「はよ いの(帰ろ)」と席を立ってしまったのも、そのせいだと思う。
せっかく来たのに、亡くなった叔父が生きていたら、寂しい思いをしたろうと思う。
私は学生時代に、叔父にずいぶん世話になったので、今度の七回忌には、この雰囲気を変えられたらと思っている。
ただ、亡くなった叔父の魂は、もう、赤穂に戻ってきているような気がするのだが・・・

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