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2015年1月4日日曜日

論文提出の悪夢

これから新学期だし、受験生にとってはいよいよ受験の始まる大切な時期である。
私はこの1月10日頃になると、論文提出の悪夢が蘇る。
私は大学受験に関しては、それ程苦しんだという記憶は無い。
焦りばかりで、苦しむ手前でケリが付いたというのが実態かもしれない。
むしろ、卒業や進学がかかった卒論や修論は、地獄の苦しみを味わった。
素案文章をいっぱい書いておいて、いざまとめや清書と言うことになって、なかなか文章がまとまらなかった。

特に修論は、教官の指示に従わずに、調査資料を用いて書いたので、もてあます羽目になった。
殆ど不眠不休の状態が、一週間あまりも続き、机の上で目を開けたまま眠ってしまっていた。
つまり、起きて論文を書いているのだが、午前二時だったのがいつの間にか朝だったりした。
その間、文章は全く書けていなかった。
なかなか書けないし、締め切りは迫って、小説家がなぜ自殺するかが身をもって分かった。
当時は手書きだったので、清書は数人の人に手伝ってもらった。
提出の日は、駅の階段で上るのが辛くて、先輩に介助してもらいながら、手すりにしがみついてホームまで上がった。
大学までの坂道も、ふらついてやっと提出したが、帰りの電車は眠り込んで乗り換え駅を寝過ごしてしまった。

当然そんな状態だから、内容も良くなくて、先輩からはもう一年留年してやり直すように言われたが、当時は色んな意味で限界が来ていた。
この歳になれば、一年くらい余分にやってもいいように思うのだが、当時の1年は今の10年にも感じられた。
結局、博士課程への進学を断念して、高校教員になることにした。

先日、ノーベル賞を受賞した天野浩・名古屋大学教授が、実験は何度失敗しても楽しくて続けられたとテレビで言っておられた。
大成する人は、やはり違うのだなと思った。
氏は私とほぼ同じ年で、こちらが南山大学にいる時に、名古屋大学にいたのだと思うと親近感を感じる。
しかし、研究と言うことになると、全く足下にも及ばない。
失敗を楽しみに換える力など、自分にはとうていなかった。

今から考えると、都立大学は本当に素晴らしい師や先輩にめぐまれていた。
しかし、その環境を活かす力が自分には無かったのである。
ただ、その失敗はその後の人生に活かすことが出来たと思う。
今でも少しずつ研究が続けられているのも、そのお陰だし、そこに在籍できたことに誇りも持てている。

ただし、そう思えるようになったのは、つい最近のことで、長い間悪夢でしかなかった。




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