昼のテレビ番組でオウム真理教の被害者家族のことを特集していた。
その中で、親子関係を断絶させることが、カルト集団にとってもっとも重要なこととされていたと聞いて、はっと思った。
学校教育と大差ないじゃ無いのか?
学校教育は自己実現の下に、自分の意思によって家業から離れたり、親の意向とは違っても希望する進学を行い、希望する職業に進むことを暗に奨励した。
確かに、それによって多くの生徒が職を得て豊かな暮らしを甘受できた。
しかし、一方で学歴社会に適応できない多くの引きこもりを生じさせもした。
そして、先日の東大生を刺傷させたように、過度な進学教育を理由にして犯罪を犯したり、もっと以前には大学受験失敗者の殺人鬼も生んでしまった。
カルト集団と違うのは、親自身も学校教育の信者であり、その支援者であったり熱狂的に学校教育の学習させる実践家でもあったことだ。
そして、学校教育は会社等にリクルートさせれば、後は学校そのものとは無関係になる。
ただ、教育社会学者が言っているように、社会が学校化しているのでその延長上に生きていることと同じだろう。
カルトは学校教育と一線を画してはいるが、教団とは場合によって一生涯関係は続くのとある意味では一緒かもしれない。
日本ではカルトは反社会的な宗教集団と見なされているのが普通だろう。
つまり、学校教育は近代化の中で社会の根幹を担い、カルトは近代化で生じた歪みを受け入れる反社会的な部分を担っている。
反社会的で無くて、伝統的な仏教やキリスト教徒とは異なる新宗教団体も多く、近代化に伴って生じた宗教と考えて良いようだ。
実は熱心な「生長の家」の信者が身近にいた。
夫が戦死して女手ひとりで娘二人を苦労して育ててきたが、同居していた娘の夫が初婚、再婚とも亡くなってしまうという経験の持ち主である。
父親を亡くした孫にもその信仰を奨めて一時活動にも参加させたが、信者とはならなかった。
この孫は、学校教育での大学受験に失敗した後、半世紀も引きこもって72歳で亡くなってしまった。
彼は学校教育でも新宗教でも、そして医療にも救いを得られなかった。
現在多くの人が引き籠もっているというが、学校教育、新宗教、医療でもない救いが必要な気がする。
また、子どもに障害を抱えた母親や孫に障害を抱えた祖母(母親の叔母)が熱心に「真光」の信者になったのも身近で見ていた。
その母親はその信仰活動の最中に突然心臓発作で70歳の若さで亡くなり、一緒に活動していたその叔母も3年後に膵臓癌で亡くなってしまった。
その障害を持った母親の娘も祖母の孫も学校教育では普通校に通うことは無かった。
特に、母親の方は子どもが小さい頃から遠くの特別支援学校に通わせるのに付き添って苦労を重ねていた。
だから、私は彼女が信仰することによって支えられていたとは思っている。
ただ、子や孫のことを人一倍心配するのに、自分の心身を案ずることができなかったと思っている。
学校教育でも現代の医学でも克服できない障害で悩む人の受け皿に新宗教がなっていることも確かだろう。
二人とも短命に終わってしまったことから、新宗教で必ずしも救われたとは言えないと思える。
学校教育の無自覚な信者として、大学受験でも就職でも成功してきた人たちが退職後に行き詰まっているの最近マスコミやネットで話題になっている。
退職して家や地域で暮らすのに、卒業した学校の肩書きはなんの役にも立たないし、却って邪魔になったりする。
地域では人によって受けた学校教育内容も違うし、就職も様々だからだ。
官庁や企業のように学校教育のシステムの延長上では無く、学校教育とは異なったシステムを地域社会では維持せざるをえない。
だから、学校教育信者として生き続けるには、仕事を続けていくのが一番良いのだ。
そういう私も学校教育で学んだ学問やスポーツ、音楽をいまだに続けている。
ただ、研究では学会とは殆どかかわりをもっていなくて、本当の趣味になっている。
また、スポーツや音楽は学生時代に部活で指導を受けたものではなくて、社会教育を通して自分が主体的に取り組んできたものである。
実は父方の祖父は家業優先で、学校教育に対する信仰をあまり持っていなかったので、その影響も受けている。
完全退職した今は、学校教育で得た修士の肩書きも全く無縁だし、資格や免許も全く利用していないか、そもそもなかったものもある。
ある意味で、学校教育の信仰から、やっと距離をとって自由になれているとも言える。
それは学校教育の信仰に支えられている政府からも、ある程度は自由でいられるということかもしれない。
退職後に行き場を失って引き籠もってしまった方は、その学校教育信仰の呪縛から解き離れることも一つの解決になるような気がする。
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