昨日(2/8)からとある大学が勤め先に研修に訪れていた。
その中の教員として見覚えのある顔、しかし、下の名前は出てきても姓が出てこない。
ネットで大学の教員を調べたら、やはり出ていた。
Aさんは転職前は高校の管理職であったが、早期退職して大学の教員になったことは知っていた。
それがどこの大学だったのか憶えてなかった。
Aさんの夫も大学の職員として働いていて、昨年も私の勤め先の高校であっていた。
来ていた大学の他の職員の方にAさんのことを聞くと、学科長さんだという。
転職してすぐに学科長になっているとは、さすがだなと感心した。
Aさんとは20年程前のとある養護(特別支援)学校で同僚だったが、当時からやり手であった。
今朝見かけたので、話しかけると昔のままである。
懐かしさのあまり、色々と身の上話をした。
Aさんと一緒に働いていた学校の同僚には、Aさんと同じように管理職になって頑張っている女性がいた。
一方、私はその学校で同僚だった男性教員が早期退職しているのをうらやましく思って、自分もそうありたいと思って実行した。
女性の方が学校という場に情熱を燃やし、自分のような男性の方が消極的になる状況なのである。
私はそれはそれで良いと思っている(Aさんにはハッパをかけられたが・・・)。
情熱と能力のある女性はもっともっと管理職や大学教員になるべきだと思う。
私にとって学校は確かにやりがいのある教育現場ではあるが、それが全てでは無いとずっと思っていた。
もともと文化人類学を専攻していた自分にとって、ヒトにとっての学びの場というものを根本的に考えたかった。
今、同じ職場の史跡担当の職員に、大学で臨時講師を務めながら安い時給で働いている人がいる。
彼は大学の通信制で考古学を学んだ苦学生だったが、情熱と努力で子育てを担いながら研究活動を続けている。
待遇的には決して恵まれていないのだが、研究に対する情熱をすごく感じさせる好人物である。
私はことあるごとに、彼と歴史や教育について語り合い、勇気と元気をもらっている。
彼より安全な生活を選んだ私だが、地位財産にあまり執着していない点は似ている。
自分が本当にやりたいことがあれば、どんな境遇であっても生きがいを得る方法もあるような気がする。
世間の人にとっては、それなりの額の年収を捨てて今の仕事をしていることが理解しづらいと思う。
「人生、金だけじゃ無いよ」と、せめて格好だけつけさせてほしい。
ただ、Aさんとの再会は、違った意味でも自分に奮起を促してくれた。
彼女から「何かあったら」とわざわざ帰りがけに頂いた名刺は、お守り代わりに大切にしておこう・・・
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