スーパーの米販売のコーナーに米が無い。
JAが経営する直売店にも米が無い。
私は、養父の道の駅で高い玄米を衝動的に購入した。
本当は、ネットで無農薬・無化成肥料の米を以前は購入したのだが、あまりにも高いので近隣の特別栽培米の玄米を購入することにしていた。
もう、特別栽培米にこだわれないと思って、たまたま道の駅で見つけた普通の玄米5kgを購入したのだ。
実は、我が家は近所の米農家から玄米は購入しているのだが、除草剤や農薬、化成肥料をしっかり使っているのを知っているので、私は他のを試し始めたところだった。
今回は山間の農村地帯の道の駅で売っているのだから、それなりの品質があると思って衝動買いをしてしまった。
実は私は玄米は一週間で1合ほどしか食べない。
ご飯は自分で3合炊くのだが、玄米以外に1合のモチ麦玄米、半合のそばの実、半合のキヌアを入れている。
その3合ほどを一週間かけて食べているのだ。
宮沢賢治は「雨ニモマケズ」で一日2合も玄米を食べると言っている。
私の2週間分の玄米の消費量が賢治の一日分の消費量なのだ。
昔の人はいかに米に頼っていたかを示すのだが、これを現代人がやると完全に米はなくなってしまうだろう。
ただ、現代人は米以外の農産物、海産物にを消費して、その多くを輸入に頼っている。
こちらの方も、どうやら怪しくなってきている。
ウクライナ戦争での小麦不足もさることながら、世界各地の気候破綻で農産物の収穫も不透明だ。
米は自給率100%を誇っていたのに、それが危うい背景にインバウンドがあるという。
インバウンドでの米の消費は輸出と同じ意味だということだ。
要するに、安い円のお陰で、外国からの観光客に米を食べられてしまっているということだ。
そして、一般の日本人に回せる米が不足してしまっている。
また、米そのものの収穫も気候の関係もあって質も量も落ちてしまったのだという。
私は今年作った作物はことごとく失敗している。
トマト、なすび、キュウリなどはまともに作れていない。
それは、モチ麦の収穫作業や高黍の植え付け作業で手が回らなかったこともあるが、猛暑と雨不足が大きな原因でもある。
今、畑で元気なのはオクラと高黍であり、どちらも高温乾燥に強い作物だ。
高黍の原種は中国では新石器時代から作られていたようで、水稲が普及する前の大切な穀物だった。
水稲は、灌漑施設が整ってこそ安定して作られる作物で、奄美などでは江戸時代にならないとまともに栽培できなかったようだ。
だから、奄美では甘藷を主食するとともに、ソテツの幹や実を日常的にも利用したし、海産物や山野の椎の実、百合根など色々と食料にしてきた。
沖縄は戦前にソテツ地獄になったと言われているが、日常的にソテツを利用していた奄美では、ソテツを食べて亡くなった人はいない。
要するに奄美よりも豊かであった沖縄が経済危機になって、慣れないソテツをまともに処理せずに食べたので死人がでたようだ。
これから、食糧危機を迎える我々は、米に頼らなくても生きていける食習慣と身体を身につけなければまずいと思う。
固いからだとか、不味いからだとか言って米や小麦製品しか食べられなかったら、食べるものがなくなってしまう。
米を品種改良して高温乾燥に耐えられる品種を生産することも取り組むだろうが、すでに米不足が始まっているのだから、生活防衛をもう始めなくてはいけないと思う。
私はオクラや高黍以外に、今年からモリンガの栽培にも取り組み始めた。
道の駅で苗が800円もの値段で売られて驚いたが、遅ればせながら大切に種から苗を作って育てている。
この先は冬を越させるのが課題となるが、鉢植えしているので室内に取り込もうと思っている。
冬場はモチ麦とジャガイモを主力にするつもりだ。
令和の米騒動は、南海トラフ大地震の予兆と同様に、我々に危機を警告してくれていると思う。
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