ページビューの合計

2024年8月22日木曜日

ハイビスカスによせる思い

 


今年はハイビスカスが庭でいっぱいの花を咲かせてくれている。
これまでは、多くて一日に2から3個くらいしか咲いていなかった。
今年は、化学肥料をそれなりに与えていたので、たくさんのつぼみをつけてくれたのだと思う。
この花を買ったのは2020年の5月だ。
それまでは、家内と一緒にホームセンターにいった折に、売られているのを見て買いたいと言うと、家内には枯らすから駄目と言われ続けていた。
たまたま加西のフラワーセンターに行って、ホームセンターより安かったので、枯らしても文句は言われまいと思いきって私は買った。
私は以前は、「花より団子」「花でおなかが膨らむのか?」といって、花好きの家内には嫌みを言っていた。
そして、庭には花よりも野菜を植えたりしていた。
専業主婦だった家内は、プランターなどで花を栽培するのを楽しみにしていた。
しかし、子どもが大きくなって臨時で働き始めてから、花に関わることは殆ど無くなっていた。
一方で、私は畑を借りて本格的にやり出したので、庭に野菜を作る必要も無く、花にも興味を持たず花を育てることは無く庭も淋しいものになっていた。

そういう私も、肥満気味となり、糖質制限もしなくてはならなくなって、団子はおあずけの身になった
また、退職してからは気持ちに余裕が持てるようになって、花にも興味を持ち始めていた。
どうしてハイビスカスかというと、奄美に村落調査に行っていた頃に、与路島でよく見かけていたからだ。
民宿や宿泊所の庭先に路地植えされて大きく育ったハイビスカスに、いっぱい花が咲き、アゲハチョウが寄ってきていた。
学生時代に支えてくれていた伴侶と長津田のアパートに引っ越してベランダができたので、その懐かしいハイビスカスを近くで買ってきて育てた。
ハイビスカスを見て、奄美を思い出し励まされながら修論を書いたのだが、博士課程にすすめるだけには仕上がらなかった。
伴侶と夢を追いかけていた生活も破綻してしまい、郷里の赤穂にひとり戻って立て直すことになった。
何とか部屋で冬を越して、これから咲こうとしていたのだが、私は地元に戻るのに、ベランダに置いて帰らざるを得なかった。
辛い思い出が重なってしまった、ハイビスカスを持って帰ることをためらったというのが偽りの無い気持ちだ。

その後はハイビスカスを見ると、当時を思い出して胸が痛むので、買おうとは思わなかった。
あえてガジュマルのように、奄美だけの思い出に繋がるものを買って育て続けたが、こちらは30年近くたっている。
絶望の日から35年の月日が経って、ようやく辛い記憶も懐かしさに変わって初めて育てようと思い出した。
今はハイビスカスの花は、黄色やピンクなど様々な色があるが、当時と同じ真っ赤な色を選んだ。
買った当時は、ほんの30cmほどだった鉢植えのハイビスカスも、今は鉢も大きくして1m以上になっている。
冬には2階の書斎部屋に入れて大切に冬を越させて、花の咲く夏になると下の庭に持って降りて人に見てもらう。
学生時代は花が咲くのを一度見ただけで、記憶と共に置き去りにしてしまったハイビスカス。
今は、4年間も花を咲かせ続け、今年は満開である。
この満開になったハイビスカスのように、私はその後何とか積み重ねてきた研究を開花させたいと思っている。
たとえ、ハイビスカスのように実のならない花だとしても・・・・・





0 件のコメント:

コメントを投稿