秘密のケンメインショーでたつののそうめん「揖保乃糸」が紹介された。
兵庫県を紹介する画像のトップはいつも神戸の港だが、播磨地方を紹介するなら、せめて姫路城を出して欲しかった。
播州人にとっては、神戸は摂津国で、播磨国とはかなり違う。
そもそも、兵庫県は明治政府が神戸の外港を維持するために、5つもの国をくっつけてしまった。
だから、丹波の人も、但馬の人も、淡路の人も、播州人と同じように神戸を代表されると疎外感を感じるだろう。
そもそも、神戸の洋風の食文化と他の地域の食文化はかなり違ってきていると思う。
神戸の人もそうめんを地の物のように紹介していたが、神戸の人がそれほどそうめんに親しんでいるとは知らなかった。
そもそも、私らの世代はそうめんは普段食べられたものではなくて、盆など特別な時に親戚と一緒に食べたように思う。
夏には普段は冷や麦を食べていて、中に青色や赤色の麺が入っているのが楽しみだった。
たぶん冷や麦はそうめんより値段が安かったので、子どもが4人もいた我が家では、冷や麦を大量にゆでて出したのだと思う。
それとつけるつゆだが、自分ところでいり干しで出汁を取って、それこそヒガシマルの薄口醤油などで味付けしていた。
母方は祖母も母親も、酢を入れるのが好きで、冷や麦やそうめんは酸っぱいつゆで食べていたが、最近私も懐かしくて普通の酢や、らっきょを漬けていた酢を入れたりしている。
ネギは入れていたが、わさびなどは昔は入れることは無かったと思う。
もともとは冷や麦とそうめんは製法が違っていたらしいが、今は同じ製法だという。
私はそうめんは子供心に何か苦い感じがしたので、冷や麦の方が好きだった。
結婚してからは、家内がそうめんのひねを買ってきたり、新しいのをタッパに入れてねかして、こしのあるそうめんをおいしく食べてきた。
ただ、そうめんは腹持ちが悪くて、すぐに腹が減ったと私が言うし糖質過多になるので、最近は家内もあまり作らなくなった。
今家内が作るそうめん料理は、中にいっぱい野菜やハム、おろしたり刻んだ長いもを入れて、つゆを上にかけたもので、腹持ちも栄養バランスも良い。
一方でこのごろは、そうめんはお中元に買って贈るものということになっている。
結婚する前の私は高級なそうめんがあることを知らなかったし、贈られて喜ばれる物だとは知らなかった。
奄美ではこの日持ちするそうめんを贈られると喜ばれるのを学生時代は知らなかった。
調査に行く時に手土産で名古屋のういろうや、大阪の粟おこしのように、重くてかさばる物を持って行ったが、そうめんを持って行けば良かったと思っている。
たつのにはおいしいそうめんを出してくれる店も何軒かあるし、「そうめんの里」のように観光客が多く訪れるところもある。
私は、たつの公園の上にある、すくね茶屋で食べたそうめんがおいしかったことを記憶している。
たつのには縁があって、市内にある学校に長く勤めたのに、そうめんよりもイトメンのチャンポン麺の方をよく食べていた。
こちらも幼い頃から食べてきたもので、出汁も和風だし、麺が細くて、具材に入っている小さな干しエビを食べるのが過ぎである。
このチャンポン麺はそうめんに通じるものがあり、いつも買い置きしてあって時々食べている。
たつののそうめん製造は、ラーメンなども作る大きな工場だけで無く、小さな町工場もたくさんあって、品質を保ちながらまとめて揖保乃糸をなのっているという。
夏場は木箱を作って、冬場に麺を作る家内工業はたつの近辺の大切な地場産業になっている。
このそうめんもたつのを活気ある町にしている大切な産物なのだと改めて納得した。
それにしてもたつの出身の漫才コンビ・インディアスの片割れの田渕章裕は、新宮出身で実家がそうめん製造をしているという。
新宮町は市町村合併以前は揖保郡であり、有名なブンセンという食品メーカーもある。
私は、たつの市の合併前の学校に勤めていたので、新宮町民がたつの市民をなのることにまだ違和感を感じている。
確かに彼は、龍野高校出身でたつのにゆかりがあるが、そうめんにはちゃんと「揖保」という名前が残っている。
かれは堂々と、揖保を名なのって、大声で叫ぶよりCMフレーズで「そうめん やっぱり 揖保の糸」と歌って欲しかった。
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