我が家の飼い犬のクロは、元来猟犬なので庭で飼っているが、吠えると近所迷惑になるから、無駄吠えをさせないように厳しくしつけていた。
本来猟犬は主人に獲物の居場所を告げるために、よく通る吠え方が求められているのだから、クロには酷なことだ。
一番効果があったのは「水」で、夜中でも無駄吠えをしている時には上のベランダから、掛けることもしばしばあった。
また、水鉄砲を用意していて、無駄吠えをすると掛けることも効果があった。
そうする内に、無駄吠えをすると怒られるので、来客の時以外はほとんど吠えなくなった。
だから、吠えると来客だと思って、玄関に見に行くことが夫婦とも習慣になった。
しかし、今回はそれを逆手に取られて、来客でも無いのに吠えて、二階にいる私を呼び寄せた。
要するに来客があるふりして、私を呼び寄せて散歩や餌をねだろうとしたのだ。
うちのクロはこういう嘘もつくことがあって、餌をもらって食べているのに、帰宅した家内に餌を貰っていないような鳴き声をしてもらったりした。
だから、嘘をつく犬として、鳴き声には疑ってかかってもいる。
私は、元猟犬に「お手 おかわり」をさせるのもおかしいと思って、そういう類いのしつけはしていない。
むしろ、捨て犬から野良犬になったので、普通の飼い犬に戻すのが大変だった。
猟犬を散歩している人を見ると、猟犬は匂いを嗅ぎ回ってまともには歩いていない。
そのような犬を私の横について歩けるまでに、何年もかかってしつけたが、それでも匂いを嗅ぐ癖は残っているし、突発的にネコなどの獲物に飛びかかろうとする。
そんな、野性に近い犬だが、何を求めているかは仕草や、目で分かる。
家内は一方的にクロに話しかけているが、私は自分の意思は目で伝える。
怒っている時は、じっと黙って怒った表情で目でにらむ。
クロも都合の悪い時には目をそらすが、一番目をそらすのは糞をしていて恥ずかしい時だ。
散歩に行きたい時は、吠えると叱られるので、出かける方向をむいて行こうと誘う。
そういうようなボディーランゲージも身につけてるのである。
その肝心の目なのだが、虹彩の色が薄いので瞳の黒が強調されて、鋭い目つきに見える。
愛玩犬などは虹彩の色が濃くて、愛くるしい目に見えるのだが、ハスキー犬ほどではないにしろ、くっきりと鋭い瞳が強調される。
これは狼などと同じようにアイコンタクトの名残でもあるようで、人間の場合は白眼もしっかり分かって狼や犬と共通するコミュニケーションがなされている。
これは本来集団で狩猟をすることの共通性によるものだという。
犬も鳴き声である程度の意思を伝えていることは分かるが、何よりも目が雄弁に語っており、目を見ればだいたいの気持ちが分かる。
それに加えて、尻尾がうれしさや興味を持っていることの表現として分かるし、犬の方も人の発する言葉もある程度は理解できているようだ。
ただ、時々散歩している途中で、私が不意に歌い出すと怪訝そうな目つきで振り向いたりするが、さすがに歌の意味は分かるはずは無い。
そして、クロも夕方にサイレンが鳴ったり、救急車の音がすると調子外れの音程で遠吠えによる合唱が始まるが、これも私の歌と同じだろう。
これらは文化人類学者久保明教氏の言葉を借りれば、「結びつくことで以前とは異なる存在へと変化」としての「生成」と言うべきかもしれない。
私とクロとの間のコミュニケーションは、音声だけに頼らない、種を超えたれっきとした生成コミュニケーションなのである。
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