私が中学生の時に初めてシングルレコードを買ったのは、ミッシェル・ポルナレフの「忘れじのグローリア」だった。
英語もままならないのに、フランス語など分かりもしないどころが、文字をたどって発音することもできなかった。
それでも音を耳コピーして、たどたどしくまねて歌っていた。
彼の曲は日本では「愛の休日」が一番有名だと思うが、どの曲も日本人の情感に合って惹きつけられたように思う。
私はその後、ポルナレフの日本公演のライブ盤などを買って何度も何度も聴き続けていた。
そして「愛の願い(Love Me Please Love Me)」などを、一部だけよく口ずさむことが多かった。
赤穂には大好きな海岸が何カ所か有るが、やはり一番好きなのは唐船ビーチだ。
いまでこそ、ビーチと言われているが、子どもの頃は塩田の先にある堤防の向こうの砂浜でしかなかった。
小学生の頃から潮干狩りや魚釣り、海水浴によく友達と一緒に行った。
年頃になってからは、友人と夜にたき火をして騒いだり、彼女とデートするのにも使った。
この唐船の海岸だけでなく、千種川の河口から続く東側の河原の方が、私には青春を刻んだ場所であった。
この近くの高校に勤めるようになって、ここに来る機会も多くなった。
校内マラソン大会には、唐船山のすぐそばで立ち番もしたりした。
毎日のようにこの砂浜に通ったのは、近くの高校の定時制に勤め始めた時だった。
定時制の勤務時間は昼過ぎからなので、家で昼食をした後で運動がてらで唐船に来て歩いてから職場に行った。
たった1年定時制の勤務をして早期退職した数年後に、同級生の校長に頼まれて、再び定時制の非常勤講師をすることになった。
そのときは、授業前の夕方にまず唐船を散歩した。
必ずその時にスマホで聴いたのは、ミッシェル・ポルナレフの「渚の想い出(Tous les bateaux, tous les oiseaux)」である。
きみにあげよう
海とカモメをそして金の果実
宝の島
星のうえの
大きな舞踏会を
泣かないで、僕の恋人(一部ネットから引用)
これは海にちなんだ曲だが、「ラース家の舞踏会(Le Bal des Laze)」や「哀しみの終わる時(Ça n'arrive qu'aux autres)」などをYouTubeで聴きながら歩いた。
そして、海浜公園に入って中に小高い芝山があって、そこから海と島を眺めながら、時に仰向けになったりして聴いていた。
ポルナレフの甘くて切ない曲が、目の前の景色とすごく合っていた。
先日は久しぶりに通院するのに時間ができたので、寄ってみた。
夕日に染まった海岸を昔のようにポルナレフを聴きながら歩いた。
しかし、かつての姿を失っていた。
温暖化の影響か、昔海に出ていたコンクリートの波消しは波を被り、昔はたくさんいたカモメも見当たらない。
そして、何よりも千種川の河口の河原が浸水している。
唐船から伸びる1km程の防波堤は、江戸時代に造られ300年以上の歴史をもつ。
塩田のために築かれた防波堤は海面上昇のために役立つことになっている。
私にとっては忘れじの渚である。
家内にはできればここに散骨して欲しいと言っている。
5年程前の風景、向こうの大きな島は小豆島、小さいのは取揚島 |
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