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2024年11月9日土曜日

山すそのたまにカニ食う現代人

『南の島のよくカニ食う旧石器人』 藤田祐樹 2019 岩波書店には沖縄のサキタリ洞で旧石器人が食べたと思われるカニが多く見つかったことが面白く書いてある。

時々、カニの産卵でうじゃうじゃカニが道路を歩いている映像がテレビで放映されたりするが、その頃の沖縄でもそんな状況だったのかと思ったりする。

日本古来や奄美などでは、カニを使った幼児の発育祈願があって、子どもの健やかな生長をカニにあやかることがなされてきた。

奄美の与路ではカニを神様の使いという信仰があることも古老から聞かれた。

古来から人の生活や信仰と密接に関わっていたのがカニだった。


私の子どもの頃は、カニを捕るのが楽しみで、バケツと火ばさみをもって、近所の溝でカニ捕りをした。

小さなカニから大きなカニまで、捕ることだけが楽しみで、夕方には母親に溝に返させられた。

そのころも、一番捕って自慢できていたのが、千種川の川辺でとれる自分たちは「ムラサキガニ」と呼んでいた爪が紫色をした大きなカニだった。

川辺に行くのは小さな頃は親から止められていたので、夏休みなどは暑い中をひとり近所を歩き回ったのを思い出す。

食べるのは以前紹介したイシガニで、鍋いっぱいに湯がかれたのをよく食べたが、ズワイガニなどの大きなカニを食べ出したのは社会人になってからであった。

今でも、私は小さなイシガニの方が味が濃くておいしいと思っている。


赤穂に住んでいた時は、身近にカニがいて当たり前と思っていたのだが、上郡に住み始めて滅多に見ることがなくなった。

たまに、川辺で沢ガニを見かけたが、近所の溝には全くカニは見かけなかった。

ところが、実はモクズガニがいたはずなのだが、このカニは普段は穴に棲息するし、関心が無かったので、気がつかなかっただけだったようだ。

何年か前に息子が知り合いから、いっぱいモクズガニを貰ってきたのをおいしく頂いたことはあったが、買ったり捕ったりしようとは思わなかった。

私は海近くの育ちなので、淡水の魚はドジョウ以外は滅多に食べたこともは無かったし、家内が鮎を含む淡水の魚が嫌いなので、食卓には上らなかった。

だから、淡水のモクズガニにも関心が無かったのだが、自分の家の前の用水路にかなり大きなモクズガニを見つけたので、衝動に駆られてそれを捕まえた。


ネットで食べ方が載っており、大きな桶にいれて1週間ほど泥抜きをした。

そして、今日(11/9)はいよいよいただくことにして、まず竹串で絞めたのだが、動かなくなるまでけっこう時間がかかった。

その後の毛の生えている爪を綺麗にするのが大変で、包丁で削いだりしたが少し残ったりした。

蒸すのが一番おいしいと書いてあったが、胃腸も弱っているので茹でることにした。

そして、夕方にはありがたく頂いて、久しぶりにおいしいカニを味わった。

淡水なので生臭くないかと心配したが、海のカニと同じ香りと味で、ズワイガニなどより濃厚だった。

イシガニは足は細いので身が入っていないが、今回のモクズガニはかなり大きかったのでハサミだけでなく、足にも身が入っていた。

雄だったので、卵はなかったが、みそは格別おいしかった。


ずっと、1週間ほど泥抜きのために、水を替えたりたまに餌を与えてきたので、情も移っていたのだが、自然の恵みに感謝して頂いた。

モクズガニを食べると身体が温まるということも聞いたが、生きているところを知っているので、その命をささえた力を貰った気持ちになった。

釣った魚は水が切れると直ぐに死んでしまうが、カニは少しの水でしっかり生き続けるので、新鮮さを味わうことができるのだと思う。

その生命力に古来からカニを大切な食料と同時に、縁起の良い物として発育祈願に使ったのだろう。

そもそも、カニはサワガニ以外は海との関わりを必ず持っているということで、このモクズガニも海からの来訪者なのである。

今朝も、散歩していたらモクズガニの甲羅だけが川のそばの道に落ちており、おそらく野生の動物に食べられたのだと思う。

人間だけで無く、野生の動物の大切な食料ともなっていることが分かる。

旧石器の時代から日本列島、琉球列島ではこういうカニの恩恵を受け続けてきたのだろう。

この地域に住んでいたであろう古代人との繋がりをもモクズガニは感じさせてくれた。








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