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2024年11月15日金曜日

三鷹といえば

再放送の「孤独のグルメ」を家内はビデオに撮っておいてよく見ている。

家内は自分ではあまりあれこれ食べないのに、こういう食に関する番組をよく見るが、自分では食べられないけど、食べた気持ちなれるので良いそうだ。

私は見ていると腹が空いてくるので、夜中にはなるべく見ないようにしている。

この番組は主人公の五郎が出張で地方や海外にも行くけれど、中心は都内やその近郊だ。

私は学生時代のバイトの警備員や家庭教師、塾講師の関係などで東京の色んな所を経験している。

当然住んでいたJR中野駅界隈や、西武新宿線の新井薬師駅近辺、大学のある東急東横線の都立大学駅付近などはなじみの場所だった。

もう40年も経つのだから、ずいぶん街の様子も変わっているが、雰囲気が残っているところも結構あって懐かしく思う。

そういえば中野の象徴的なビルの、中野サンプラザが壊されてしまったというが、私はずっと駅を利用する時に見ただけで、入ったことは無かった。

あれが無くなると、私の知っている中野ではなくなるなと感慨ひとしおである。


先日、ふと家内が見ていた「孤独のグルメ」の画面の電信柱に「上連雀」という地名が出てきた。

上連雀と言えば三鷹であるが、私は三鷹で3ヶ月ほどとある高校の宿直のバイトをしていた。

大学院に入学して、東京の中野の安アパートに下宿していた当時に、すぐに必要だったのがアルバイトだった。

短期間の中野郵便局のバイトは終わってしまい、次に応募したのは警備員のバイトだった。

夜警の宿直は勉強しながらできると思ったからである。

中野から三鷹まで中央線で通ったが、夕方に行って朝戻ってくるのを週に3回ほどしていた。


最初、先輩の警備員にやり方を教わるのだが、その年配の警備員の方は広島出身の人で、土木工事の飯場も経験した人だった。

その飯場でのスコップを用いた生々しい暴力事件を聞かされて、法律や警察とは無縁の世界があることを知って驚かされた。

社員としての警備員とは別に私たちのようなアルバイトが仲間にけっこういて、司法試験にチャレンジしている人や、極真空手の格闘家などもいた。

格闘家は芸能人のボディーガードもたまにやっているようだった。

宿直以外にたまに交通整理の応援を頼まれて、そういう人と話す機会もあった。

新宿のデパートの駐車場誘導係の仕事では、こちらの指示を無視する高級車に乗った奥様の存在に驚いたりもした。


高校の宿直の仕事では、生徒とは殆ど関わることが無くて、たまに教員と関わることがあった。

そんな中で、私はまのがれたのだが、酔って迫ってきた教員に髪をひっぱらた社員の警備員もいて、気をつけるように言われた。

その教員は、東大出で奥様が大学教師と言うことで、コンプレックスのはけ口が、酔った時の乱暴だったり、性癖に問題をもっているようだった。

当時は学校でも飲む機会があったようで、一度だけその人が酔って絡んできたが、他の年配の先生になだめて連れて行って貰った。

社員の警備員は反撃しなかったらしいが、私なら反撃しかねなかったので助かった。


宿直の仕事では、夜中の見回りが気持ち良いものではなかった。

チェックする場所があって、そこで携帯型のタイムカードのような円形の紙に、そこに置いてあるキーで打刻する。

骸骨の模型の置いてある薬品の匂い漂う理科準備室や、道路の向こうにある体育館の教官室に行くのも気持ち悪かった。

私は剣道の経験があったので、万一に備えて警棒は携帯していたが、私は人よりも霊的なものを恐れていた。

祖母がそういう話を良くしていたし、文化人類学はそれを否定する学問ではなかったからだ。

この宿直の経験は後に寮を備えた兵庫県立大付属高校の宿直では役に立たなかった。

どちらかというと、回数こそ少ないが翌日にも勤務のある付属高校の寮の宿直の方がきつかった。


こういうこういう警備システムは1970年の大阪万博を機会にできあがったという。

それから50年以上経って、はたして今度はどんな新しい仕事が誕生するだろうか。

警備は無人の機械警備になっていったが、どんどん無人化していく方向が示されるのかもしれない。

無人化は人手不足の省力化で良いのかもしれないが、どんどん無機質な世界が広がっていくのだろうと思える。

とっくに妖怪は漫画の世界になったが、アニメやSFの世界では霊的な世界が生き生きと描かれ続けている。

人類のもつ自然界との繋がりが形を変えて、まだ残っているのだろうと思う。

むしろ、180度転換して人間世界を超えたマルチピーシーズの世界を広める仕事が誕生すればと思う。


奇しくも三鷹は三鷹事件で有名で、当時、三鷹でバイトしていると言ったら、物騒な街と思っていた母親は心配していた。

家内も三鷹のことは、三鷹事件でしか知らなかった。

私はその後、三鷹には大学院の研究室での調べ物があって国際基督教大学に行くことが何度かあった。

その大学の敷地は世界に誇った中島飛行機の研究所があったところで、そこにアメリカ型の大学ができあがった。

三鷹事件といい、大学といい、アメリカ支配の最先端の場所だったと気づかされる。

中島飛行機もその後復活してSUBARUと日産で生き残ったが、日産の方は大変な状況になっているようだ。

アメリカ大統領がトランプに代わって、依然とその従属下にある日本も変わらざるをえないよるだろう。

Expo70の時の警備会社創設のように、朝鮮半島や台湾で戦争が起こって民間軍事会社の創設にならねば良いが・・・・





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