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2024年11月21日木曜日

残った傷にも 血が滲む

 「また君に恋してる」は、私にとって身につまされる、思い入れの強い曲である。

作詞は松井五郎氏だが、私はどちらかというと安全地帯の名曲との関連で名前をおぼえていた。

この曲の次の歌詞


  若かっただけで 許された罪

  残った傷にも 陽が滲む


この「罪」に聴く方は、いろいろの自分の過ちや後悔を重ねるだろう。

私は大学院時代に自分の小ささから招いた生活の破綻を重ねる。

当然、心の傷は残ったままだが、本当に痛みを伴う「傷」も残っている。

それは、十二指腸潰瘍である。

(この病気が発症した経緯やその後については以前の「十二指腸潰瘍」に詳しく書いた)

今回は、その殆ど忘れかけていたし、もう無縁だと思っていたこの病気が再発してしまった。

完全退職で仕事からのストレスも解放されたはずだし、いまは農繁期も過ぎて比較的ゆっくりと過ごしている。


実はそのゆっくりしすぎた暮らしが原因だったようだ。

つまり、去年までは週に4日は非常勤講師をして、教壇に立つ仕事があった。

だから、季節に関係なく立ち仕事があったのだ。

ところが、それをやっていない今の季節は、立ち仕事が殆ど無くなってしまったのだ。

毎日の犬との1時間余りの散歩は当然続けているのだが、あとは殆ど読書や書き物をしている。

要するに、机に座っている時間が非常に増えてしまった。

立ってPCが使える器具も購入したのだが、あまり使っていなかった。

週に2回程度の水泳も欠かさずしたが、それでは足りなかったようだ。


ついに医者に診て貰うことにして、近くの内科を受診した。

その時に聞かれたのは、便の色だった。

私は黒っぽい便が出ていることを告げると、出血の可能性があることを言われた、。

空腹時に痛くなることから、十二指腸潰瘍だろうと言うとその通りだと言われた。

本来なら大きい病院で胃カメラを飲むところだが、貧血と炎症の血液検査をして悪く無かったので、当面は薬を飲んで様子見となった。

私の残った傷に、胃酸などによって血が滲んでいたようだ。

だから、粘膜を守る薬と胃酸を抑える薬を出して貰った。

来週はピロリ菌の検査も行うことになった。

帰宅してネットで調べるとピロリ菌が原因となることも書いてあった。


大学院時代は、修論の提出もあったし、お金が無かったので、医者に言われたように入院はせずに、修論提出後は自力で治した。

それはジョギングだった。

近くの恩田川の堤防道路を無我夢中で走った。

最初は、すぐに息の切れる状態だったのだが、長津田のアパートから横浜線の十日市場駅まで行って帰るくらいになった。

体力がつくと共に、病気も回復していった。

今回もその経験を活かして、運動で回復させることに決めた。

ジョギングはもう無理なので、水泳の練習メニューの内容を軽くして回数を増やすことにして実行している。


それにしても、松井五郎氏は「また君に恋してる」で、「残った傷にも が滲む」と「陽」を用いたのだろう。

普通は「陽」を長い年月と考えて、長年寄り添った夫婦と考えるべきなのだろう。

そうすると、この曲を夫婦とした場合に、夫婦の背負った罪と傷というなら駆け落ち夫婦や不倫に絡んだ結婚、略奪婚のように考えられる。

松井五郎氏はそういう辛い思いをしても、ずっと愛を育んでいる夫婦を描きたかったのだろうとは思う。

そうなるとずっと夫婦のままでいられなかった自分には酷な歌になってしまう。

私はどうしても自分に都合良く解釈したいので、別れた妻や恋人を思い出して「また恋してる」と無理矢理に解釈した方が自分でも歌いやすい。

だから、本当は癒やされることのない「残った傷に血が滲む」としたいのだが、そうすると別れた人への思いが当てつけがましくなってしまう。

激しく愛し合ったが故に背負った傷を、年月がいやしてくれていると言った方が気持ちを軽くしてくれるだろう。

現実は、私のように昔背負った傷から血が滲んでしまうこともある。

若かった頃は心の傷も身体の傷も忘れてしまいたいものだったのに、年月が懐かしさに換えて架空の蘇った恋愛を夢見る。

まだその時の「残った傷にも が滲む」けれど「まだ 君に恋してる」という自虐的な替え歌にして歌って良いかもしれない。








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