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2024年11月26日火曜日

酒と病

毎晩ビールを楽しみにしていた家内はリューマチを患って以来、医者から飲酒を止められてしまった。

今でも関節の痛みが続いているせいもあって、酒類は一滴も飲まない。

その代わりに、コーヒーや緑茶を何杯も飲むので、私はカフェイン中毒だと言っている。

私は逆に、コーヒーやお茶は何杯も飲もうとは思わない。

その代わり、ビール、ワイン、日本酒、焼酎と毎日欠かさず少しずつ飲んでしまっていた。

ところが、十二指腸潰瘍を再発して以来、一滴も飲む気がしなくなった。

飲むと痛むのが分かっているからで、結局家内のリューマチと同じになってしまった。

不思議なもので、入院時は別として体調が悪くても飲んでいた酒類が欲しくないのである。

これは以前に痔を患って漢方を飲んだ際に、酒を飲むと気分が悪くなったので、漢方を飲んでる間飲めなかった時以来である。

断酒するにはこの方法があると思ったが、そこまでして断酒する必要が無かった。


考えてみれば、大学や大学院時代には普段はそう酒は飲んでいなかった。

たまに飲むとかなり飲んだが、毎日飲む金も無かったし、飲まないと済まないわけではなかった。

飲酒以外に楽しいことがいっぱい有ったからだと思う。

ただ、修士論文作成時は、酒が必要となり、タバコとトウガラシとの相乗効果で体調を崩していった。

毎日晩酌をし始めたのは、教職について結婚してからだと思う。

酒の量が増えたのは、二校目の困難校に赴任してからで、肝臓数値が悪くて病院にかかった。

そして、痔も患ったために、一時は酒も飲めないような常態になっていった。

転勤して痔を手術して、酒も普通に飲めるようになった。


その後転勤を繰り返したが、病と回復の繰り返しになった。

痔の次になったのは痛風であったが、この時もしばらくは飲めなかった。

次の糖尿病は教育入院中だけで無く。退院後もしばらくは飲まなかった。

次に入院したのは脱腸だったが、入院中だけ飲まなかった。

一方、タバコは大学院時代はチェーンスモーカーで缶ピースが好きだったが、金が無いので普段は新生(SHINNSEI)を吸っていた。

それが子どもの誕生を機会に、何とか時間を掛けて辞めて、今では吸おうとは思わない。

私の場合は酒も持病の糖尿病に良くないし、酒を飲むとどうしても食事量が多くなって肥満になって健康を害している。

ただ、大きく違うのは、タバコと違って家族には直接迷惑をかけることはないのである。

また、一度友人の医者に勧められて禁酒をしたが、逆に自律神経失調症を患ってしまった経緯もあった。

だから、酒は私の精神状態を保つための薬とも言える。


私の父は完全にアルコール依存症であった。

休みの日は朝、昼、晩と安い焼酎を飲んで、3日で一升ほど飲んでしまっていた。

休みに子どもとドライブなどに行く時は、カップ酒などを持ち込んで後部座席で飲んでいた。

実は祖父も酒好きで、朝から酒を飲んでいたが、コップ一杯に留めていた。

祖父は結局脳梗塞で亡くなったが、83歳まで生きて当時としては長生きだった。

父は、脳梗塞を患ってから、さすがに酒を止めたが77歳で亡くなった。

亡くなるまで、子供らが集まって飲むたびに、「飲むな 飲むな」と言い続けていた。

その私の兄弟でも難病の持病を抱えている次男は殆ど飲めないし、痛風の四男はビールが禁じられている。

長男の私と三男が相変わらず、何でも多く飲んでいるのである。


今後、我々兄弟がどれだけ長生きできるかで、酒の評価も分かるだろう。

父の兄弟は父以外は普通に酒を嗜んでおり、酒での差は分からなくて、大企業の勤め人だった三男の父と五男が早く死に、自営業だった次男や雇われ店長だった四男は長命だ。

私の解釈では、大きい組織の方がストレスが多くて、自分の健康管理を優先できないのだろうと思う。

私も、県立学校の教職員として同じような立場にあった。

一番健康を害した次男の弟は、初任は一流企業の丸の内本社勤めだった。

ストレスから逃れるために早期退職した自分が、酒と関連のある十二指腸潰瘍を再発させるのも皮肉だ。

もう酒に頼らなくてもストレスはさほど無いはずなのに、以前からの飲み方が止められていない。

学生時代のように、飲酒以外の楽しみをもう一度見つけて、酒との関わりを変えていこうと思う。

実は昨日からギターの弾き語りの練習をしているが、もっとギターの腕を上げて再び舞台に立ったりYoutubeにアップしたいと思っている。







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