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2018年1月3日水曜日

思い出作りの正月2018

以前高校に勤めていた時に、野球部の顧問が「クラブ活動は思い出作り」と言っていたのをよく思い出す。
休日も練習や試合で明け暮れて、家庭を犠牲にしている顧問の言葉に耳を疑った。
しかし、「甲子園が目標」「プロ野球選手になる」という言葉よりも、重みがあるものだった。
どんなに努力を積み重ねても、甲子園に出られたり、プロ野球選手になれるのは一握りだ。
選手自身も顧問も野球に全てを打ち込む意味を問われて、ほぼ不可能に近い意味を見いだすことはできない。
それなら、いっそ「思い出作り」と、開き直った方が納得いくだろう。

これは自分たちの生活に関しても言えることがある。
この正月に弟夫婦は10時間以上かけて、神奈川県の葉山から車で帰省した。
しかも、親の負担にならないようにホテルに宿泊した。
親兄弟を中心とした嫁孫とで過ごしたのは、3時間ほどだった。
うちのこの集まりは、多くが歌が好きなので、カラオケがメインになる。
今回もカラオケ屋を貸し切りにして、みんなでお好み焼きをつつきながらカラオケを行った。
この風景は、私たち兄弟の子供が小さい頃からの風景でもある。
大学院で学ぶ姪も嫌がらず来てくれて、歌ってくれた。
私の歌を聴いて、母親がうまくなったと前回同様褒めてくれた。
母親はカラオケや民謡を先生について練習している。

普段話せないことを、話せば良いのだろうが、実は兄弟はLINEの仲間であり、いつでも連絡が取れるのである。
だから、正月盆に改めて話をする必要も無い。
いつ倒れてしまうかも分からない一人暮らしの高齢の母親と、楽しい時間を過ごすために集まったのである。
いわば「思い出作り」のための正月であった。

仕事で明け暮れる日常の生活を思い出すことはあまりない。
しかし、楽しく過ごした盆や正月、祭りなどはよく覚えている。
葬式や法事以外に集まることができて、良い思い出になるのが盆や正月だ。
家に家業があったり、近くに住んで農作業を手伝い合っていた頃は、生活のための集まりだった。
今は、歌や旅行などの楽しみを一緒にするための集まりになっている。
それが、できるだけでも幸せなのかもしれない。
果たして、将来私の家族はそういう機会を持てるのだろうか?
子供は二人とも結婚して居らず、孫もいない。
それでも、集まることができれば、旅行くらいは行けるかもしれない。
人それぞれの、思い出作りの正月を迎えれば良いのだろう。





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