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2018年1月21日日曜日

二つの恋ヶ崎

私が生まれた鷆和には、恋ヶ崎というしゃれた名前の浜辺がある。
親は綱崎(つなさき)と普通言っていたので、その名を知ったのはずっと後のことである。
若い頃に原付バイクに乗ってドライブがてらに行った時のことである。
そこにお巡りさんがやってきて、不審者に思われたのか職務質問された。
免許証を提示させられたのだが、当時は本籍地も記載されていたので地元の関係者というのがすぐわかった。
お巡りさんは不審者と疑ったのを笑顔でごまかして、去って行った。
ここには今でも、SUPをするために夏場には来る。
小さい頃には家族で泳ぎに来たり、父親と貝を掘りに来た。
当時はハマグリも採れて、どういうわけか子供たちは鎌を砂に立て引きずって探していた。
結婚してからも子供を連れて、海水浴に来てスイカを食べたりした。
工場や採石場があるので、景色はそれほど良くないが落ち着ける場所である。
ただ、一度もデート場所に使ったことは無く、同僚のメグ(ALT)とSUPをしたことがあるだけである。

私にとっては、恋ヶ崎と呼びたいのはどちらかというと唐船(からせん)海岸である。
ここは私のその後育った尾崎の遠浅の浜辺で、小学校の頃は私たちの釣りや貝掘り、海水浴の遊び場であった。
中学校や高校時代の友達を連れてきて遊んだのもここだし、彼女とデートに来たのもここである。
今は前に見える家島は採石されて無残になっているが、小豆島も間近に見えて景色は素晴らしい。
昔と違って、海岸も美しく整備され、海浜公園の一部になっている。
ここには赤穂高校に赴任してからは、勤務が終わった後や、休憩時間に散歩したり、ジョギングを行っていた。
時々教え子がデートしているのに出会うので、少々向こうには気まずい思いをさせていた。
教え子たちにはまさしく恋ヶ崎であった。

去年の春まで勤めていた定時制の出勤前にはよくここを散歩した。
特に秋頃から運動不足解消のために、浜辺を通って公園内に入り、駐めた車に戻っていた。
寒い冬の日も、この海岸と海浜公園を歩くと気分が爽やかになった。
何よりも風景だけでは無く、鴨やカモメなどの海鳥に出会えるのが楽しみでもあった。
公園で子供連れの親子を見ると、自分たちの子供を連れて来た頃を思い出していた。
その時の私には、昔を恋しく思う恋ヶ崎であった。



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