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2018年1月27日土曜日

時代を紡ぐ万葉岬

いつ頃からか万葉岬という名前が相生に現れた。
国民宿舎の相生荘からの変身である。
実はここが相生荘の時代に、家内がしばらく臨時職員として勤めていた。
以前から椿が咲く頃には、神戸新聞の取材に応じてモデルを務めたと言っていた。
残念ながらその頃の写真は手元に無く、家内の実家にあった記事も白黒で印象も薄かった。
当然、見合いする前の話で、私にはあまり関心がわかなかった。

ここには龍野の養護学校(特別支援学校)に勤めていた頃はよく利用した。
当時は、平日に泊まりがけでの飲み会が多くて、夕方から来て朝早く帰り、景色を堪能したことは無かった。
ただ、大学の頃に家族で初日の出を拝みに来たのだが、人が多くて駐める場所に苦労したのを覚えている。
万葉の岬を名乗るようになってからは、一度も来た頃は無く、その前を素通りしていた。
だから、じっくり風景を眺めたのは初めてだとも言える。

今日(1/27)は義父の49日の法要の後の食事で来ることになった。
上郡付近は朝から雪が降り積もり、岬も寒いだろうと思ったが、昼間来てみると暖かい。
食事はやはり牡蠣中心となったが、おいしく頂いた。
特に魚が色々入った炊き込みご飯は、懐かしい味がした。
ただ、みんなに受けるようなメニューだったので、海をもっと感じさせてくれる料理がほしかった。

昼間からはそう飲めるものでも無くて、食後にあたりを散歩した。
万葉岬の名前の由来となった歌碑が建っていた。
「縄の浦ゆ背向に見ゆる奥つ島漕ぎ廻る舟は釣しすらしも」万葉集巻三、山部赤人
「室の浦の湍門の崎なる鳴島の磯越す浪に濡れにけるかも」作者不詳、万葉集巻十二
http://www2.aioi-city-lib.com/bunkazai/den_min/old/literature/kanegasaki.html
という歌が、この地ゆかりの歌だという。
縄の浦は相生湾のことらしいが、那波という相生の町の地名もそこからきているのかもしれない。
室の浦は室津付近の湾を指すらしいが、ともに地名がしっかり受け継がれて時代を感じさせる。

今日法要を勤めてくれたご室津浄運寺の御住職から、浄運寺が参勤交代の大名に支えられていたことを聞いていた。
万葉の時代から、鎌倉時代、江戸時代とこの地は歴史を刻んできたことがよく分かる。
今は相生の町も造船所も一時の勢いを失い、時代から取り残された感がある。
それでもこの岬のホテルは落ち着いた雰囲気で、人を惹き付けてくれている。
千葉から来た跡継ぎの嫁はここに住むのは嫌だと公言した。
確かになじみの無い人にとっては、これと言って魅力が無いのかも知れない。
しかし、相生も赤穂も近畿の中では、住みやすくて人気のある場所になったいる。
私にはごみごみした東京圏の都市よりもよっぽど居心地が良いと所と思う。
なにせ時代を紡いできた地であり、これからもそうであると思っている。
と言いつつも、この法要で親が播磨生まれは私と息子、娘3人だけでマイナーな存在だった・・・



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