私の母親は亡くなった父親から受け継いだ年金で暮らしている。
銀行に振り込まれた年金を毎月定額引き出して、母親に届けるのが私の役割である。
以前、父親が亡くなった時に、私の被扶養者にしようとして書類を揃えたら、年金の額が多いので被扶養者にできなかった。
父親は65歳まで働き続けたので、その分、年金額も多かった。
その年金を受け継いだので、母親の受け取る年金はそこそこの額がある。
以前は、母親に私の息子の給与より年金の方が高いと言っていた。
息子は介護の仕事をしているが、正社員では無い。
結構、夜勤をしているのだが、母親の年金よりも低い額だった。
今日、職場で扶養者の話が出た。
その中で、現在の私の給与は手取りでは、母親の年金より低いと言うことに気がつかされた。
給料を計算してくれている事務の人には
「うちは 給料は安いもの」と、こと無げに言われてしまった。
「ああ そうか 自分は母親の年金以下でこの仕事をしているのだ」
と、我ながら哀れさを感じた。
繁忙期には、非常に忙しくて、先日も昼ご飯をまともに食べられなかった。
以前勤めていた若い職員でも体重が7kgも減ったという過酷な現場
臨時雇用の職員の給与は年齢関係なく同じである。
母親の年金は高いと言っても、私の給与の方が総額は上で、諸経費を引かれて手取りになると私の方が低くなる程度である。
ただ、この歳になると再雇用は難しく、近所の人でも殆どの人は退職後は再雇用される人はいない。
私の場合は早期退職なので、年金支給までの生活のために必要なので無理をしてでも働いている。
最も深刻だったのは、昨年の収入額によって住民税の額が決まるので、3ヶ月分の住民税は私の1ヶ月分の給与となった。
私は3ヶ月分の住民税は払うために、1ヶ月働いたことになる。
ということは、4ヶ月働いてやっと退職後1年分の住民税と言うことである。
江戸時代は5公5民だったが、退職後に関しては住民税は4公8民ということになる。
当然、所得税なども払っているので、もっと納税分が多い。
去年まで給与がそこそこ高かったから仕方ないが、改めて税というものの厳しさを考えさせられた。
ただ、いくら年金暮らしで不安なく楽に暮らせても、母親のように医療費などに多くを費やす状況は幸せとは良いづらい。
近所の年金暮らしのみの人は、気楽そうに見えるのだが、それほど生き生きしているとはあまり感じない。
年金をもらいながらも、農作業やアルバイトで収入を得ている人の方が元気そうだ。
要するに仕事は収入額だけの問題では無く、健康を損なわないことを前提として、生活に活力を与えられるかどうかだと思う。
現在の私は、慣れない仕事に生活の活力も奪われている状況でもあるが、もう少し我慢してみようと思っている。
今年からは住民税も下がるので、税金を払うために必要な額の仕事をしないで済む。
給与の額よりも、研究や生活が充実できる仕事をしようと思っている。
今の仕事がそうなってくれればと思うが、たとえそうなっても期限付きであることも確かだ。
年金支給までと言うだけでなく、死ぬまでの人生設計を立てねばならない。
これからは学校の家庭科の授業でも教えるそうだ。
はたして、役に立つのだろうか?
今の職場の若い人を見ていると、今を生きるのが精一杯のような気がする・・・
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