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2018年4月28日土曜日

播磨丸の浮き輪

実家の屋根裏は物置になっている。
捜し物があって、屋根裏をのぞいてみると、船の救命用の浮き輪が三つある。
昔からずっとあったものだが、全然気にかけてなかった。
父親は大切に屋根裏に三つも置いていたのだ。
しかも、太い桁に並べて縛ってあった。
その一つを頂くことにした。
そして、家では玄関の軒下につるしてみた。

浮き輪には「赤穂 播磨丸」と書いてあった。
持って帰る時に、船の名前を母に聞いたら、第7播磨丸とか、第3播磨丸とか、はっきりしなかった。
とにかく、鳥撫で木造運搬船を所有していたのは親戚が多く、番号で区別した播磨丸と称していたようだ。
もう、60年近く前の物になるので、表面はボロボロであったが、麻の綱はしっかりしていた。
父親は、捨てがたく屋根裏に置いていたのだろうが、これだけ年期が入ると骨董品として面白い(家内には不評)。
実は、船の石油ランプももらってきて、座敷の軒下に吊していた。

これは、赤と緑の一対の一つである。
船は左舷が赤ランプ、右舷が緑ランプだからである。
今はこのような石油ランプは使っていないと思う。
家にあるのは、赤ランプで実家には緑ランプが居間にある。
近所の人でも、これが船のランプであることが分かる人は、そう多くない。

父が船に愛着を持っていたことを、今になって気がつかされた。
船の話をする時は、あまりいい話は無かったのだが、苦労を共にした船の名残は捨てられなかったのだろう。
私自身は、小さい頃は父に船乗りになると約束していたそうだ。
しかし、父自身が船乗りを辞めてしまったので、約束は反故になった。
母からは船乗りにはなるなと言われてきたので、自分自身もあえて船乗りにならなかった。
ただ、自分の娘が造船設計に携わって、時に試運転で船に乗るのも妙な縁である。
私は、せめてSUPの船長を勤めているのだが・・・


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