岡山県で働き出して、3ヶ月経とうとしている。
そろそろ慣れてきたところだが、なかなか慣れないことも多くある。
岡山弁もさることながら、気質がこれほど違うものかと思い知らされた。
30年間も西播磨で仕事をしていたので仕方ないといえば仕方ない。
思い出したのは、入学した大学が名古屋にあって、その時受けたカルチャーショックだ。
岡山県の人も知っているが、名古屋弁と岡山弁は似たところがある。
奈良や京都からのを中心とした距離が同じくらいにあり、関西文化圏と接していることも共通している。
言語が古墳時代までに遡るかどうか分からないが、尾張出身の藩主池田氏とは関係ない地域でも似たような状態のようだ。
ただ、広島出身の家内の両親や親戚と話していて、名古屋弁との共通性を感じてこなかった。
また、広島は移民も多く、家内の両親のように他県への転出も多い。
しかし、岡山は県内に留まる人が多く、名古屋とも似ている。
職場の臨時職員の若い人に、兵庫県の方が賃金も高いし、職場も多いからと兵庫県での転職を薦めても嫌がられる。
どうしても県内に留まりたいようだ。
私に関しては岡山に対する偏見など無く、むしろ親しみを持っていた。
姫路にあった母校の中学・高校の同級生にも岡山県の生徒がいたからである。
しかし、岡山の人は兵庫に対しては距離感を持っているようだ。
これは兵庫の方も一般の人は、それ以上に距離感を持っていることも確かである。
岡山の人以上に、兵庫の人は岡山に足を運ぶことは少ないと思う。
それは電車の便を見ても分かるし、広告やイベント情報などでも分かる。
それには、やはり言葉の問題が大きい。
関西人はどこへ行っても、関西弁を使う。
現に私も職場で播州系関西弁を使っている。
先日、「すんません」という言葉を注意された。
私は親しみを込めて使ったのだが、岡山では安易に使うと怒りをかうようだ。
名古屋で受けたカルチャーショック程では無いにしても、適応力の落ちた今の年齢では結構大変である。
名古屋は経済的には先進地域だったので、からかったり馬鹿にしても問題は無かった。
「大いなる田舎」「文化不毛の都市」とか、「みゃー みゃー猫みたい」とテレビなどでも揶揄されていた。
しかし、関心度全国35位の今の岡山をからかうと良い関係を損なう。
岡山には誇れる物や、良いイメージが必要だと思う。
姫路に関しては品行や治安で、結構悪く言われることも多いが、世界に誇れる姫路城がそれを払拭している。
姫路城に匹敵できる象徴が岡山には残念ながら無い。
赤穂に関しても、こんなちっぽけな町でも、全国に通じる忠臣蔵がある。
一方、岡山は横溝正史の「八つ墓村」「獄門島」の世界になってしまう。
因みに横溝正史自身は兵庫県神戸市出身というのも皮肉である。
今の岡山のイメージを高め、からかわれる程強くなれるにはどうすれば良いのか。
そうなれば、私も気を遣わずに会話ができる。
岡山県の観光大使になったブルゾンちえみに託すしか無いのだろうか・・・・
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