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2024年10月18日金曜日

もしも ピアノが弾けてたら

 俳優西田敏行が亡くなった。

私は、高校生くらいから西田敏行に似ていると言われ続けていた。
当時の若い世代では、三枚目俳優の西田敏行に似ていると言われるのは、容貌をからかわれているに等しく、そう言われた私は苛ついた。

知り合いから「西田トシちゃーん」とからかわれるのが嫌だった。

でも、西田敏行本人は好きな俳優だった。

私が西田俊行が演じた役で一番好きまなのは「池中玄大80キロ」だ。

今の私は87キロあるが、身長が174cmあるので、80キロ超で166cmの西田俊行とは同じような体型なのかもしれない。

ただ、私は彼のような俳優になりたいとは一度も思ったことはなかった。

でも西田敏行や六角精児を見ていると、自分にはできそうにないけど役者の魅力が分かる。

単に役を演じさせられているのではなく、人間の色んな面を自分の個性として表現できる面白さがあると気がついた。

今では西田敏行に似ているといわれるのは褒め言葉のように思えるようになった。

でも最近は大物俳優になりすぎていたので、言われることはなくなっていた。


今回の訃報の報道で、色々と知ったけれど、中でも売れるまでの苦労話は身につまされた。

彼をあれだけの俳優に育てたのは、養父母であり妻だったのだ。

彼はそれにしっかりと応えて、感謝を忘れていなかったようだ。

自分も研究者を志した時に、支えてくれる人がいながら、それに応えられるような謙虚さが貫けなかった。

彼は大物俳優や仲間とうまく関わって愛される存在になることができていた。

私も大学時代には森繁久弥のようにうなぎを食べさせてくれる先生がそばにいてくれた。

大学院でも、伴侶以外にも多くの先生や先輩が手を差し伸べてくれていた。

その支えにちゃんと感謝して応えようとする気持ちがあったら、研究生活は破綻することはなかったと思う。

その破綻のことは「されど1年」で詳しく書いている。


役者も研究者も似たところがあるが、研究者は定職に就くこともできるし、教師などのつぶしがきく。

役者は仕事が無くなってしまえば終わりだし、つぶしもあまりきかないという厳しい環境だ。

いっぽう、役者は経済的に大きな富を得たりや多くの人に愛される存在になれる。

そんな中で自分の容貌や性格をうまく活かして、大成していった西田敏行は尊敬すべき人だと思う。

しかし、その努力や苦労のはけ口としてのたばこや酒が、身体をむしばんでいたことも確かなようだ。

私も酒・たばこが原因で、既に大学時代に十二指腸潰瘍を患い、大学院では修論執筆中に医者から入院を指示されるほど悪化させていた。

その時は入院せずに薬と運動・節制で回復させたが、その後もたびたび再発していた。

もし、研究者になっていたら、彼よりも短命だったかもしれない。

役者も研究者も身体を犠牲にしてしまうところの共通点はあるようだ。


作詞阿久悠の「もしも、ピアノが弾けたなら」は、不器用な人間の気持ちを歌ったものだが、西田敏行自身は大変器用な人間だったと思う。

何でも器用にこなせる人こそ、不器用さをまとって歌い多くの人を魅了した。

単に器用だけではなくて、山田洋次監督に楯突くなど反権威主義の精神と実力をも持っていたようだ。

私自身は本当に不器用なので、気持ちを伝えることができるピアノが実際に弾けてたら良かったと思う。

バンド活動でも、ピアノが弾けてたら道が開けていたかもしれない。

私を支えてくれている伴侶や先生に、感謝の言葉を伝えられるすべを持ち合わせていない不器用者だった。

そして、何より実力もないのに権威に楯突いて潰れていった。


だけど ぼくにはピアノがない きみと夢みることもない

心は いつでも空まわり 聴かせる夢さえ遠ざかる


実際に私の夢は若き日に糟糠の伴侶と共に遠ざかってしまった。

彼は私のように不器用な者の気持ちを歌やドラマ・映画でうまく表現してくれていた。

不器用な人間をあえて演じることで、彼は役者として励ましてくれていたのだと思う。

彼のように深いところまで気持ちが伝わってくる俳優は、これからもそう生まれないように思える。

私はかつて西田敏行に容貌だけでも似ていると言われたのだから、もう少しは彼に近づきたいと思う。









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