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2024年10月4日金曜日

私を導いてくれた光バイト

 今は闇バイトが世間を騒がしている。

ネットで集められた若者が中心に、高齢者や女性の単身者を狙って強盗に入ったりしている。

捕まれば一生台無しになってしまいかねないリスクを冒すほどのうまみがあるように思えない。

目先の高額なバイト料にだまされて、その世界から抜け出せない若者も多いという。

それよりも、汗水を流して働いた方が良いと思うのだが、小さい頃からTV・PCゲームばかりしていたとか身体を動かす経験の少ない人にとっては、どだい無理な話なのかもしれない。

また、そういうバイトをする若者は相談する相手がいないというので、気軽に相談できる窓口も必要なのだろう。


私は中学受験や大学受験で机に縛られていた時期を除いて、身体を動かす方が多かった。

バンド活動でもボーカルやギターでも結構体力が必要だった。

そして、大学時代にサークル活動としての村落調査に必要な金に困ってやったのは、土方(土木作業)のバイトだった。

弟は旧帝大に入っていたので、地元の赤穂に夏休みに戻ったら家庭教師の声がかかった。

私は三流大学の私学であって、短期間でも頼まれるほどの価値がなかった。

ただ、理科系の色白スリムな弟には彼女はなくて、文系で色黒マッチョな私にはちゃんと恋人がいたので、釣り合いはとれていた。

私学であっても家内のように自宅通学していた大学生は家庭教師や塾などのバイトも相生にはあった。

地元赤穂では国公立に通学している学生が殆どいなかったので、夏休みや春休みだけでも頼まれることがあって、医学部に行った多くの同級生も同じようにしていた。


私のバンド仲間だった同級生は、早大法学部の学生だったが、家庭教師や塾は不向きだったので、あえて地元でも東京でも建築現場でバイトしていた。

私より高額の日給をもらい、地下足袋をちゃんと履いて、ビルの上にも上っていると自慢していたが、1980年頃私は日給5,000円で彼は7,000円くらいもらっていた。

以前、受験ドラマ「ドラゴン桜」で、夜の土木作業のバイトが実入りが良いと奨められていたが、大学生ならともかく受験生に向いているバイトとは思わない。

何せ夏の昼間の土方(田舎では夜間の道路工事等は殆ど無い)は、どうやって夕方まで体力を維持するかである。

元気の良い朝に体力を使ってしまったら夕方まで持たなくて、ペースをつかみ身体が慣れるまでに、最低一週間はかかる。

そして、昼休みはどんな場所でも眠る必要があり、汗に濡れた長袖シャツを干しながら、ランニングシャツ一枚で板の上で横になって日陰で眠った。

やっと夕方に仕事が終わり、家に帰って夕食を済ますと泥のように眠りこけた。

問題は仕事が無くなる雨で、身体安めには良いのだが収入面では都合が悪い。

「土方を殺すに刃物はいらぬ 三日雨が降れば良い」とか

「雨が続くと仕事もせずに キャベツばかりかじってた(赤ちょうちん)」の世界である。

まさしく闇バイトならず、晴れ頼みの光バイトなのである。

親方は母親の知人の断酒会を通じての知り合いで、親方のお母さんは日本語が得意ではなくて、電話で連絡を取るのに不自由があった。

親方は強面だが口数も少なく、無理なことを押しつけるようなことは無かった。

そんなきついバイトをしている私に恋人はよく気遣ってくれて、たまの休みに二人で旅行することもできた。


こういう土方をせずに済んだのは大学院時代で、東京の公立大学院生だったので、家庭教師や塾の仕事にありつくことができた。

しかし、博士課程の進学に失敗して地元に戻ると、教諭の病欠や短期留学での短期間の中学での数学や英語の臨時講師(校長特別免許)しかなかった。

これは1~2ヶ月ほどしかなくて、その間を埋める軽いバイトが赤穂には無かった。

そこで、役に立ったのが土方の経験だった。

要するに職安(ハローワーク)から赤穂市の発掘の人夫(作業員)の仕事を紹介されたのだった。

発掘現場は、重機も使うが、丁寧に掘ったり、削ったりする仕事があった。

一緒に働いている仲間は退職したり失業した年配者が多かったが、小指を詰めた中年も混じったりしていた。

また、ご主人が借金の保証人になったために家をとられてしまったご婦人もいたり、脳梗塞で軽い障害を持った人もいた。

暑い夏の作業も辛かったが、凍てつく冬の作業も同じくらい辛いものだった。

しかも、大学院の修士をいちおう修了していたが、考古学はかじった程度で何の役にも立たず我ながら情けなかった。

それでも、そのことがきっかけとなって、市の教育委員会の人が懇意にしてくれて、教員になる道も開けていった。

要するに、土方の経験があったればこそ、発掘に携わり教員になれたとも言える。


今は、ブラックな仕事として、教員の仕事は人気が無いので、私の経験が若い人の役に立たないかもしれない。

言えるのはどんな惨めな時であっても、それなりの下積みのバイトをすれば、何かのチャンスに結びつくということだ。

大学院の修士の時に生活が破綻して、当時は医者から出されたトランキナイザーを飲みながら死ぬことしか考えなかった者でも、土方を通して道が開けた。

そして、どんな不遇な身の上ででも懸命に生きていこうとしている人から人生を学んだことも大きな経験だった。

今でも村で暮らしながら村作業や農作業ができるのも、その土方の経験があるからだ。

今は土木作業の仕事は機械化されて、素人は簡単にできないかもしれない。

それでも、今は人手不足で探せば将来の光となるバイトは見つかると思う。

ゲームばかりしていて不健康だった身体を鍛え直すチャンスかもしれない。

下積みの仕事をしている人から、勇気づけられることもあると思う。








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