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2024年10月29日火曜日

心通ったぬくもりに支えられて

 私の貧しい大学生活のことはもう既に詳しくブログに書いてある。

あんなに貧しい生活をしていて、それが苦にならずむしろ楽しく暮らしていたのは、友達や仲間との愉快な関わりがあったことをその時に書いた。

しかし、この歳になったからこそ、昔のこととして書けるのだが、恋人がちゃんといてくれたからだと思う。

このごろは家内にも「貧乏学生だったけどもちゃんと彼女がいたんだぞ」と話せるようになった。

実はその恋人も下宿生であり、賄い付きの下宿で食事には不自由していなかったが、親から離れて淋しく暮らしていた。

私は通学生の女友達も多くできたが、本当に深く関わることができたのは下宿生の彼女だけだった。

互いの孤独は恋愛によって乗り越えられたし、私は彼女がいたからこそ貧しさが苦にならなかった。


それは大学生だったからできたのは確かだ。

仕事について、家庭を築き、子どもを育てるのに、今の日本では気楽な貧しい生活ではいられない。

ところが、以前紹介した田中二郎氏によると、狩猟採集民のブッシュマンの夫婦は気楽に結婚と離婚を繰り返して暮らして恋人関係とさほどかわりがない。

それは夫婦と子どもが基本の家族であるが、血縁関係や姻戚関係などを通して助け合いながら暮らしており、子育ては実母だけの責任ではなかったからだ。

そして、年老いた老婆以外は必ず結婚して暮らしている。

男性が早く死ぬ場合が多いので、一夫多妻制によって後家さんをなくしている。

食生活に関しては妻の働きの方が重要で、夫を通じてはたまに大切な肉が得られる程度だ。

食生活のために夫を必要としているわけではないのである。

因みに、移動生活なので住まいは木の枝で簡単なものを女性が中心に作り、家財道具も大したものはない。

ただ、男性には、狩りがうまかったり、リーダー的素養、女性の家事を手伝うなどの優しさが求められたようだ。

若い時なら性生活が大きな意味合いを持つだろうが、老いてきた男女にはそれほど重大ではないように思える。

こういうかつてのブッシュマンを考えると、人にとって生きる支えとなるのは何かということが見えてくる。


中村雅俊が歌ってヒットした曲に「ふれあい」(作詞山川啓介)があるが、その中に

なぐさめも 涙もいらないさ
ぬくもりが ほしいだけ
ひとはみな 一人では
生きてゆけない ものだから

このぬくもりは肌を寄せ合うだけではなくて、心が通じあうぬくもりだと思う。
どんなに貧しくても、どんなに老いていても、身体を寄せ合って温め合えて、かつ心の通じる人がいれば生きようと思える。
逆に、いくら金持ちであったり、好き勝手できても、心の通じない温もりだけでは孤独をいやしてはくれないということだと思う。

年老いても妻がいない男性の多くが短命だという。
単なる肌の温もりだけだったら、金を支払えばそれなりに解消できるだろう。
自分の暮らしの中にあってこそ、心通う肌の温もりが生きる力となる。
大学時代に貧しいのが苦にならなかったのは、そのぬくもりに支えられていたというのに、私はそれを自覚できずにいた。
だから、伴侶となった彼女に去られた後に、ふたりを知る親友から映画「道」の主人公のザンパノと同じだと言われたのだった。
大学院に入って欲や意地が出て、研究成果を示すために、心通ったぬくもりを大切にできなかったのが本当の別れた理由だったように思う。
大学時代の方が大きな夢やお金もなくても、心通ったぬくもりがあったからこそ幸せに暮らせたことを、この歳になって改めて気づいている。
今、年老いたればこそ、大きな夢や大した収入はなくても、家内とは心通ったぬくもりが大切だと、学生時代からの経験から身にしみてわかる。



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