実は、私は45年ほど前は村落調査においては手書きノートはメモ程度で、マイクロカセットテープレコーダーを使って録音していた。
当時はノートに筆記していくのが普通だったが、それだと会話が途切れてしまうし、情報量も限られていたからだ。
ただ、スムーズに聞き取れて情報量も増す反面で、その後のテープ起こしには多大な労力と時間がかかった。
主に夜に話者の家に訪問して、昼間はそのテープ起こしをするのが日課となっていた。
マイクロカセットは何本か用意していたので、調査から戻ってからの文字起こしも行ったりもした。
ただ、その録音したマイクロカセットは文字起こしをすると、再び録音に再利用されて音声を保存することは殆ど無かった。
2008年に当時の文部省から奨励費をもらったのに付随して追跡調査をしたときには、ボイスレコーダーを用いて聞き取りも行っていた。
それを文字にしなくてはならないと思いながら、17年の年月が流れてしまっていた。
勤めている学校現場でも研修や講演会でボイスレコーダーなどを使って録音して、それの文字起こしをすることもしていた。
また、兵庫教育大学大学院での長期研修でも、その講義をボイスレコーダーで録音したりしたが結局は文字化しなかった。
音声録音はノートに書き残す手間は省けるが、文字化するのにそれ以上の労力と時間がかかり、本当に必要に迫られなければ放ってしまっていたのだ。
それが、自動で音声文字起こしができるPLAUDの存在を知って、すぐに購入した。
手始めに手書きで書かれた大切な手紙を文字化してみたが、かなり正確だったが言葉が途切れて聞きづらいところは文字化してくれてなかった。
こういう手書きの文章は予め読んで練習する必要がありそうだ。
一方で日記を書く代わりに言葉で録音しようと思い、ベッドで横たわったまま気楽に録音した。
その録音を文字化してみて誤字はそこそこ見られたが、少し手直しをすれば済む程度だった。
そして、念願の村落調査の録音音声の文字起こしに挑戦した。
前もって、ボイスレコーダーの録音音声はWAVやMP3に変換しておいた。
ボイスレコーダーはパナソニック製だったが、独特のファイル形式で保存するものであり、汎用性が無かったので変換しておいたのが正解だった。
ところが、最初の躓きはスマホでの保存音声データーの文字起こしはデーター利用で面倒なことになる。
そこで、パソコン用のアプリをダウンロードしてインストールしようとしたがうまくいかない。
なんのことは無い、そのアプリは個人として使っているパソコンEndeavorのwindows10では使えないのだ。
そこで、家内と共用していた中古の最新パソコンLet's Noteはwindows11なので、同じようにしてインストールしたうまくいった。
さっそく、Let's Noteで試してみたら、17年前の音声データーが見事文字化してくれた。
私は感動のあまり同じように村落調査に行った仲間がいる南山大学ゼミ同窓生LINEで報告した。
しかし、その仲間からはスルーされてしまった。
彼は大学時代当初から録音も撮影も行わず、ひたすらノートに筆記する人だったのだ。
反応があったのは、雑誌関係の仕事をしている仲間だけだった。
彼も取材や仕事のやりとりで録音を使っていたのだろう。
PLAUDの宣伝では革命的とうたわれている。
確かに私にとっては革命的で、これが40年前にあったならどんなにスムーズに聞き取り調査ができたか分からない。
しかし、当時の話者の殆どが既に亡くなられている。
当時の村落調査は伝統的な生活を経験してきた最後の語り部だったのだ。
写真に関しては残すべき記録としてデジタル化して保存しておいた。
当時の音声としては八月踊りなどはデジタル化して残して置いただけである。
しかし、聞き取りした音声は保存する意識さえなく、文字化するための一時的な参考資料でしかなかった。
ただ、再利用する前のカセットが残っていたので、それは亡くなった人の声で懐かしくてデジタル化した。
今となっては悔やまれるが、こういう時代が来るのなら録音したマイクロカセットも、写真同様に記録として置いておくべきだった。
こういう革命的な音声録音記録の時代が来たのに、肝心の魅力ある伝統的な暮らしを語る人はいなくなってしまっているのも皮肉なものだ。
せめて、そういう語り部を知る私の記憶が確かなうちに、どこでも録音できる音声を使ってそれを残しておこうと思う。
なぜならキーボードで打ち込むよりよほど楽で便利だからだ。
私の認知能力も劣化する一方だから、残された時間を有効に使おうと思っている。