半年ぶりにプールに泳ぎに行った。
去年の9月までスイミングスクールの指導員をしていて、嫌という程水に入っていた。
辞める前には体調を崩していたこともあって、しばらくはプールに行く気がしなかった。
しかし、一緒にマスターズで練習したり、大会に行ったNさんの死を町の広報で知って、プールに行きたいとずっと思っていた。
Nさんは最近までマスターズ大会で大活躍していたので、地元のプールに行けばそのことを知っている人に会えると思ったからだ。
プールに行くとちょうど、Nさんをよく知っている職員に会えた。
そして、Nさんが練習中に、クモ膜下出血でプールで亡くなったことを知った。
Nさんは元々上郡のマスターズチームのメンバーだったが、上郡のチームが無くなったので、近隣のプールのチームに変わっていた。
Nさんは高校生までは、陸上選手で水泳はできなかった。
60歳くらいで水泳を習い始めて、熱心に練習して、特に背泳が得意であった。
上郡のチームで一緒に練習していた頃は、若い人に混じって練習するのは大変そうだったが、休まず練習に来ていた。
娘さんが若くして突然亡くなった時、しばらくプールには顔を見せなかった。
そして、プールに戻ってきて、それまで以上に練習するようになった。
その時、Nさんは「辛い気持ちも、水泳で救われた」と言っていた。
去年も上郡のプールでも練習しに来ていたので話をしたが、色んな大会に出て充実した水泳人生を送っていると思っていた。
それが、77歳という、女性としてはまだ若い年齢で亡くなったのを知り、私は非常に困惑した。
健康のために泳いでいるはずの人が、ひょっとして水泳以外の事故で亡くなったのでは無いかと思った。
しかし、今回、水泳が関係していることを知って、大会での活躍が負担になってしまったのではないかと思った。
他にも、Nさんよりも10歳ほど若い仲間の死も知った。
一人は、学生時代全国大会にも出場していたスイマーで、上郡のスイミングの所長をしていたIさん。
彼のおかげで、マスターズチームが活動できた。
以前から糖尿病を患っていることは知っていた。
もう一人も60歳半ばの男性で、オープンウォーターの大会に出ていたFさん。
大会に一緒に出たことは無かったが、プールで一緒に練習したり、話をよくした人だった。
Fさんから膵臓癌のことは聞いていたが、なんとか手術で助かって欲しいと思っていた。
Fさんは、地元の自治会などで忙しく活動しておられた。
練習も誰よりも熱心だった。
私にとってプール仲間は、仕事と関係なく、気楽に関われる人だった。
会員になる資格はプールの年間会員であることくらいで、特別な指導料は無かった。
正式な練習は、土曜日の6時からだったが、仲間はそれ以外にも一緒に練習した。
地元の上郡だけでなく、近隣に働いている人や住んでいる人、コーチの指導を受けたくて姫路から来ている人もいた。
練習の折りにも、プールサイドで休憩中に水泳に関係ない話もよくした。
また、大会に一緒に行って、その帰りには祝勝会で楽しんだ。
また、仲間の別荘にみんなで寄り合って、一晩過ごしたこともある。
忘年会や、コーチの送別会などが開かれたりして、関係が深かった。
私にとっては水泳部顧問とは全く違う、まさしく心を救ってくれる場であった。
今日も泳いだ後の帰りがけに、いつものプール仲間に久しぶりに会った。
元スキーの国体選手であり画家のTさんは、いつもがむしゃらな練習をする人だ。
Tさんは、今回の仲間の死に関して、プールで死ねたら本望だと言う。
そばにいる人にとっては、確かに迷惑なことかも知れない。
ただ、彼がそういう理由もよく分かっている。
年老いた母と二人暮らしの今のTさんにとって、水泳練習が心を支えてくれている。
私も、いつも水泳は”swim to remember,swim to forget"なのである。
泳いでいない時というのは、たいてい自分を失っている時だと気づいている。
亡くなった仲間をたまには思い出しながら、これからも泳ぎ続けようと思う。
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