退職した途端に村役の一つを強引に任せられた。
宮総代という村役は、要するに神社行事の世話役、作業員なのである。
因みに神社や寺を掃除したり、お清めするのは古代では奴婢の行う仕事だった。
各地区に一人の代表と、区長、副区長が加わって神社の運営を行う。
前任者は、今年はこの地区が行事の当番(総世話役)に当たっているのにも関わらず、降りてしまった。
本来なら前年度から、やるべき仕事を見て知っておかねばならない役柄である。
私はこの村に引っ越して以来、中野地区の荒神祭りには参加したり、世話役もした。
しかし、多くの氏子を抱える与井八幡神社の祭りには殆ど参加したことが無い。
私は生まれは赤穂なので、赤穂の鳥撫と尾崎の祭りや行事は小さい頃からのなじみがある。
この村に引っ越して25年以上になるのに、祭りは一回だけちょっと見に行きすぐに帰った。
子供たちは子供神輿で参加はしていたはずだが、家内が付き添った。
宮総代の最初の仕事は輪越(大祓)で用いる茅の刈り取りだった。
茅を刈り取ってきて、古老の指導を受けながら大きな輪をこさえた。
そして、輪越の神事の世話役で、浄めの世話や、直会の世話をした。
初めて神事たるものに参加して、宮総代代表として玉串奉納も行った。
今まで輪越というのは単に夕方家族でくぐり抜けに行っただけなので、神事作法があるとは知らなかった。
神木から神様をお供しながら、神主を先頭に行列になって輪を3回8の字に回った。
因みにこの神道の大祓は中国由来の道教の影響だそうである。
の輪越より大変だったのは、10月の15日行われた秋祭りだった。
一週間前から、宮総代全員で神社周り草木を剪定したり、掃除を行った。
祭りの前日には応援も来てもらい、例年の幟立てだけではなく、雨が予想されたのでテントを立てた。
当日も朝早くから、提灯やらテントを起こしたが、前日より貯まった雨水をかぶってずぶ濡れになった。
上半身裸で作業した後、本番にそなえて着替えに帰らなければならなかった。
祭り行事は、宮総代はいちよう正装していた。
獅子舞や子供神輿が山の上の神社まで上がって来て、初めて与井の獅子舞をじっくりと見物した。
その舞手の中には、上郡高校の教え子がいて、声をかけたが。
「先生痩せてましたね」と言われ、私は腹の出た教え子に「太ったな」と返した。
何とか玉串奉納の神事も行い、一番の大仕事はビンゴゲームの司会となった。
むしろ司会は教師をしていたので、気楽にできた。
獅子舞の出る秋祭りでビンゴゲームというのは初めての経験だった。
それが終わり、テントを足だけたたんで直会となった。
今回は輪越の洗い米と御神酒だけでは無くて、弁当と酒が用意されていた。
本来ならその世話役なのだが、座って飲み食いしてしまった。
私は神主を覗いて地区役員や宮総代の中で一番若い。
弁当を全部食べてしまったのは私だけだった。
他の人はお酒もほどほどに、弁当は持ち帰っていた。
その数日後の晴れた日に、幟やテントを朝夕に分けて片付けた。
結局、秋祭りに4日間の奉仕を行った。
今後、宮総代は新嘗祭や年末年始の行事の仕事がある。
村の神社の行事も高齢者で担わなくてはならなくなり、いずれ無くなるだろう。
現に、近くの神社は獅子舞の舞手が無くなり、来年から獅子舞は無くなるそうだ。
十分な練習が必要な獅子舞より、簡単に担げる神輿の方がこれから良いのかもしれない。
私の育った赤穂の尾崎では大人神輿が盛んになったようだ。
これも姫路の祭りの影響なのかとも思う。
祭りも時代に合わせて変えていかねばならないだろう
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